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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのERIのレビュー・感想・評価

4.4
去年の暮れになんかの映画で「あ、それはOnce Upon a timeか」って言ってロバートデニーロがテレビの中に映ってるシーンがあって、今度みようって思ってたらAmazon primeで見つけたので観てみる。(←天使のくれた時間、だった気がする)セルジオ・レオーニ監督の遺作だったんですね。ハリーグレイの半自伝的作品の映像化なので、実際のニューヨークの姿をギャングたちの目を通して映像化されているところも見どころ。

少年期、青年期、高齢期と時代を行ったり来たりしながら描かれる本作は、完全版じゃないこちらでも3時間25分もある長い作品。だけど、めちゃくちゃ面白かった。



幼少期過ごしたニューヨークを舞台に、生きるためになんでもやったユダヤ系ギャングの物語。

オープニングはヌードルスがいなくなった部屋をマフィアたちが探すところから始まる。デボラの兄が、ヌードルスはチャーニーズ劇場にいるとチクって、新聞にはマックスとパッツィとコックアイの大きな顔写真。鳴り響く電話。思い出されるのは大雨の中で、無惨にも死んだ三人の若者。パッツィとコックアイ、そして顔をボコボコに潰されたマックスだった。1933年の出来事だった。


チェスターコートにハットというもはやそれだけでロバート・デ・ニーロがかっこ良すぎる。

1923年、ユダヤ系移民のヌードルスは17歳の時、ブロンクスからきたマックスと出会う。禁酒法を利用して稼ぐことを覚えた仲間たちは、そのお金をみんなのものとしてロッカーに鍵をかけた。はずだった。

仲間たちが全員死んで、ロッカーの鍵を1人で握り開けたトランクにはお金など何も入ってなかった、ところから物語は始まる。



17歳のヌードルスを演じたスコットティラーも右頬にほくろをつけてデニーロみがあるし、なんと言っても若かりしデボラを演じたジェニファー・コネリーが息するの忘れるぐらい可愛いのでそれだけでも観てほしいぐらいです。彼らの一番小さな仲間が射殺され、激情したヌードルスはその相手を刺し殺した。ヌードルスが刑務所から出てきたところに迎えに来たのは親友のマックスだった。
(デボラにバーで再会して「指折り数えた?」なんて言いながら見つめ合うシーンのかっこよさ、半端ない。)


マックスたちに誘われるがままにギャングの仕事に手を染めていくヌードルスだったが、裏の世界を牛耳っているフランキーというマフィアからダイヤを盗む話を持ちかけられては、強奪した後には雇い主たちを皆殺しにするマックスたち。依頼をされたときにはジョーを殺すことまでが依頼だった。自分がいない間に裏の世界に手を染めた彼らの仕事は遥かに悪事へと変わっていた。ヌードルスは、こんなやり方はよせとマックスたちを諭し、新しいやり方で社会の荒波を切り抜けていく。


唯一、惚れたデボラに対して無理強いすることしかできなかったヌードルスはさっきまでのうっとり冷静さどうした?っていうぐらい最低なんだけども(この時のタクシーの運転手さんがとてもかっこいい。もうちょっと早く助けてくれてもよかったけども)人をうまく愛することが出来ない。大人になるにつれてマックスとヌードルスは意見が食い違うことが増えていく。


1933年から30年バッファローに身を隠していたヌードルスはある手紙によってニューヨークに呼び戻される。1933年と刻まれた3人の棺。マックス、パッツィ、コックアイはなぜ死んでしまったのか。そこにかけられたロッカーの鍵。空っぽだったはずのロッカーには大量のお金がトランクに入っていた。



ヌードルスが呼ばれたパーティーの前夜。彼はデボラの舞台に足を運び、ステージを終えた彼女の楽屋へ真相を聞きに行った。そこで出会ったのはマックスとそっくりな彼の長男だった。しかもヌードルスと言うという。そこで気づいてしまう、マックスは生きていたということを。(なんと!)

大富豪を名乗るベイリー長官とデボラは共に暮らしてるという。運命は、どこでこうなってしまったのか。You are crazy.

大親友は、お前から恋人も人生もお金も何もかも奪ってお前になりきって生きていたと告げる。何もかもを手に入れたように思えるマックスは、友を裏切った自分をずっと許せずに生きてきた。そんなマックスにヌードルスが出した答えとは。


ラストは1933年のチャイニーズ劇場で水パイプタバコを吸ってニヤつく顔で終わる。(3時間25分が、割と秒だった)
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