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Shall We ダンス?のkaomatsuのレビュー・感想・評価

Shall We ダンス?(1996年製作の映画)
4.0
ミュージカル映画『王様と私』の代名詞ともなっている、ロジャース&ハマースタインの手によるオリジナル曲のカヴァーとなる、この映画の主題歌「Shall we dance?」を歌い、日本の女性シンガー・ソングライターの草分けとして、ポップ・ミュージックと映画音楽の関わりを見つめてきた大貫妙子さんについて、ちょっと触れたい。

茨城県某市に、日本屈指のアーティストによる最高の演奏が目の前で堪能できる、超・穴場スポットがある。いわゆるライヴハウスとは異なる、多目的のアトリエスペース+カフェだ。スペース全体がフラットなフローリング仕上げで、奥行き10メートル前後、キャパ50~60人という狭小さが、かえって貴重なリアル・ライヴ体験を可能にしている。マクロビオティック・カフェも同時経営するこのアトリエのオーナーさんは、私が知る限り、日本でもトップレベルの大貫妙子さんマニアだ。何と言っても2017年の春、オーナーさんは長年の夢を叶えるべく、この狭いスペースになんと、大貫妙子さんを呼んでしまい、市内ではちょっとした「事件」になった。ぎゅうぎゅう詰めでも80人入るかどうか、そんな茨城の片田舎にある小さなアトリエに全国からファンが詰め寄せ、その恩恵に預かった私は3メートルという超至近距離で、大貫妙子さんの音楽を心ゆくまで堪能することができた。いまだにふと、あれは夢か幻だったのか…と思いを馳せることがあるほどだ。

山下達郎氏や坂本龍一氏らと共に、日本のポップシーンの礎を築いた大貫妙子さんの紡ぐサウンドの肝は、程よい距離空間を感じさせる“楽曲的品性”や、折々の季節感を大切にする美的感覚など、彼女自身の、そして日本人全体にも通ずるような思慮深さに裏打ちされた、繊細で飾らない音楽性にあると思う。以前は洋モノのハードロックやグランジ系、ハードコア・パンクなどをガンガン聴きまくっていた私が、大貫妙子さんの静かな音楽に感銘を受けるようになったのは、何よりもその無理のない表現スタイルに愛着を感じるようになったことが大きい。そんな彼女の慎ましさ溢れる名主題歌と相まって、日本人のもつ思慮深さや恥じらいの感覚を絶妙なタッチで描いたこの作品は、1990年代以降の日本映画を代表する傑作だ。

妻・娘と暮らし、いたって真面目な普通のサラリーマン・杉山正平が、ふと電車の車窓からダンス教室で佇む岸川舞を見つける。その美しさに目を奪われた正平は、そのダンス教室で社交ダンスを習い始めることに。他のレッスン生や先生たちと共に、ダンスをすることの喜びを発見し、夢中になっていく正平。でも、そこにはなぜか、常に憂いを帯びた舞がいた。家族や会社にも内緒にして、いそいそとダンス教室に通う正平を怪しいと感じた妻の昌子は、探偵を雇って正平の身辺調査を始める。そして、ダンス大会での正平の失敗と挫折、物憂げな舞の過去の秘密などが語られてゆくのだが、この作品の特徴として、正平や舞をはじめ、主要人物がおしなべて不器用で恥ずかしがり屋、何らかの秘密を抱えているのが興味深い。そして、自分の感情を出すのが苦手で、何だかぎこちなくて、みなロボットのようにカタカタ。まさに日本人の典型そのものだ。それをリアリズムとしてではなく、面白おかしくデフォルメして描いているところが、周防正行監督の演出の素晴らしさ。そして個人的には、決してうまくはない草刈民代さんの棒読み演技がとても好きで、生真面目であまり感情を表さない様が、結果として作品のリアリティーに大きく寄与しているとさえ思っている。これが演技達者な女優さんだったら、限りなくステレオタイプな作品になったと思う。

際立った作家性をてらったり、世界に通用するグローバリズムを標榜するよりも、外国人には一見理解されなさそうな、身近にある日本人固有のパーソナリティーを実直に描くことで、かえって海外から高く評価された本作。ハリウッドによってリメイクされたり、ビリー・ワイルダーにも絶賛されたことが、その何よりの証左だ。元はといえば、そうした謙虚な日本人像が海外から注目されたのは、小津安二郎監督の作品群がその先駆けだった。周防正行監督の作家性の中にも、深いところまで浸透し、確実に息づいている小津イズム。本作品のように、あるいは大貫妙子さんのように、国民的メンタリティーと個人とが絶妙なバランスの上に成り立っているような表現に、今は強く惹かれる。