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ひとりぼっちの青春のbackpackerのレビュー・感想・評価

ひとりぼっちの青春(1969年製作の映画)
4.0
「廃馬は殺される」

ーーー【あらすじ】ーーー
1932年、世界恐慌の嵐吹き荒れるアメリカ。
行くあてなく歩いていた失業者の青年ロバートは、ハリウッド近くの海岸沿いの町にたどり着く。
その町のダンスホールでは、賞金1500ドルをかけた、若いカップルが参加できるダンス・マラソン大会が開催されるそうだ。
そんなダンス・マラソン大会、ひょんなことからパートナー不在となった女性グロリアに捕まり、急遽参加することになったロバート。
いつ終わるとも知れぬ過酷な大会、1時間、10時間、100時間、1000時間と過ぎ、疲弊の果てに脱落する参加者たち。
そして、ロバートとグロリアを打ちのめす救いの無い真相。
その時グロリアは、ロバートにある"お願い事"をするのだった……。
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ホレス・マッコイの小説『彼らは廃馬を撃つ』を原作とした映画『ひとりぼっちの青春』は、1969年製作の、アメリカン・ニューシネマの一作です。

「さあさあ、"運命のダンス"にようこそ。果てしなく続くダンスは始まったばかり。踊って踊っていつまで続くか。
最後の素晴らしい1カップルが残った時ー
最後のふたりがよろめきつまずきー
絶望の海を超えて勝利にたどり着くまで。
累々たる屍を乗り越えてたったひと組だけがー
1500ドルの賞金を獲得する。
頑張れ!運命は誰の手に、幸運と名声を手に入れるのは1カップルだけ。
諦め、疲れ果て、敗北する者 失格!
大変だ、このご時世と同じ。
偉大なるフーバーは言った"繁栄はすぐそこだ"と。
だが、この不況を見よ。
これが我々の声だ。さあ行こう!」

上記台詞は、興行師の男・ロッキーが、大会開始の際に述べたアナウンスです。
この言葉には、物語の時代背景・参加者の現状・アメリカ人の意識、それらが全て詰まっていると感じましたので、書き起こしております。

そんな台詞と物語のあらすじ、二つを書いた上でなんですが、本作を簡単に言えば、"過酷な不況の時代において、社会から爪弾きにされた若者が、儚い夢を追い求め散っていく"という物語です。

また、本作は、"過酷な不況の時代"という文言を除くor置き換えることで、どんな時代においても当て嵌まる普遍性を持った映画でもあります。
即ち、本作は、昔の映画であり、現代の映画であり、未来の映画でもあるのです。

素直な視点で、本作がアメリカン・ニューシネマ全盛期に製作された映画として見る場合は、アメリカの歴史・社会背景等を多少なり把握していないと、鑑賞しても「なんかよくわからんな?」となるかもしれませんので、お気をつけください。


未来なき若者たちが、賞金1500ドル、またの名を"希望"という飴に群がる蟻となり、観衆は若者達が蠢く姿を見て楽しむ。
観衆にとっては、若者は娯楽の対象であり、自分たちが愉悦を得る道具に過ぎないが、「選手を応援する」という形式が醜い本質を覆い隠す。

人間の汚い本性が赤裸々にされる本作の、何と汚いことでしょう。
実際「観客が喜ぶならなんだってやる」「他人の窮状を見て楽しむために、客は金を払ってやって来る」というロッキーのセリフは、大作主義のハリウッドが作る「客が喜ぶなら何でもいい」拝金的映画への批判・皮肉であり、現実は最低最悪の地獄だ!という訴えそのものなのであります。

斯様に風刺的な訴えの映画が、アメリカン・ニューシネマの時代には数多く作られています。
大抵は、自由や夢を追い求めた若者が散々な目にあい、打ちのめされ、最後には死ぬという形式をとります。
興行師ロッキーの繋がりで、シルヴェスター・スタローンの『ロッキー』を例に挙げますが、この映画の最初のシナリオでは、「ロッキーはアポロとの勝負に挑むのを辞めてしまう」という、敗北と挫折の終わり方でした。まさしく完全なアメリカン・ニューシネマだったわけです。

本作も、アメリカン・ニューシネマ期の時代の雰囲気が、それとなく伝わってくる、そんな作品として仕上がっていると同時に、テーマが普遍さを有しているが為に、どんな時代に見てもマッチする、絶望的な傑作となりました。

どんな時に見ても、気分を落ち込ませ、ゲンナリと滅入らせてくれる名作、ご興味ある方は是非ご覧ください。


「戦いは続く。素晴らしい若者達だ。
耐え 勝利を夢見る。
運命が時を刻む限り踊りは続く。
"マラソン"はどこまでもどこまでも…
どこまで続くのか。
声援を さあ 声援を…。」


〜以下、蛇足駄文〜
「馬を殺すシーンがよくわからない」という意見が散見されます。
私も原作小説を読んでいない身のため、見当違い、的外れな事を書いているかも知れませんし、他人の評を批判するつもりは無いのですが、こういった意見を見たことで、単純な驚きと、忘れていた初心に対する気付きを得ることができました。

どいういことかと言いますと
「えっ!?ほ、本当に全編しっかり見たんだよね?でも、意味がわからない?そ、そんなことあるぅ??」
という驚きの後、
「そうか、そりゃそうだよな。"同じ映画"を見ていても、"同じ映画"であるとは限らない、受け取り方は千差万別だもんな」
と、ハタと気づいた……というより思い出したわけです。

人それぞれの映画観がある。
大多数がわかっていても、自分には理解できないものもある。
皆んなが面白がるトレンド作品も、自分には合わない事がある。
そんな当たり前なことをいつのまにか失念している。

"是非の初心忘るべからず"
"時々の初心忘るべからず"
"老後の初心忘るべからず"
折に触れて思い出す事が大切ですね。
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