くもすけ

ひとりぼっちの青春のくもすけのネタバレレビュー・内容・結末

ひとりぼっちの青春(1969年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ハリウッドの隣で催される脱落者たちの残酷マラソン。かたくなに屋内から出ないショービズ内幕モノで、主人公は扉の向こうに見えるハズの日の入りを想像するだけ。逃げ場もない桟橋の先、アメリカの端っこで催される、華やかなダンス、演技、歌、エロをすべて裏返した仏頂面ゾンビのラストダンス。ディスイズアメリカ!ヤウザ!ヤウザ!

原作書いたマッコイは空軍退役後スポーツライター、ラジオの実況中継などしたのちパルプ紙にミステリーを書くようになり演技にも乗り出した。テキサスで舞台に立ったのちハリウッドで下積みするも芽が出ず、かわりに脚本家として仕事を残している。サンタモニカピアで警備?のバイトをした経験をもとにしたのが今作だそうな。戦後も版を重ねたロングセラーとなり、舞台翻案が何度か行われている

フラッシュフォワードがひねりになっていて監督ポラックのデビュー作と比べるのもいいのか。自殺ホットラインの電話オペレーターが服毒自殺を図る女を救おうと電話越しにおしゃべりを引き延ばすなかで、彼女の来し方がフラッシュバックされる。

■ダンスマラソン小史
ダンスマラソン(ウォーカソンとも呼ばれる)は、カップルが数百時間(1〜2か月も)ほぼノンストップで踊り、賞金を競う持久力コンテスト。ダンスマラソンは、1920年代初頭、ポールシッティングや自転車レースなどの耐久レースに熱狂したジャズエイジの流行の一部として始まった。

大恐慌のあおりを食った貧しい人々が屋根と食事を求めて参加し、一日12回の食事(ダンスしながら)が与えられ、動き続けていたにも関わらず太っていくものもいたという。
観客は25セント払えば何度でも出入り可能で、シルバーシャワーと呼ばれる投げ銭をすると観客参加者どちらも盛り上げた。参加者のなかには絵葉書を売ったり、スポンサーを得たりして収入を増やそうとしたものもいた。

もっとも退屈を感じていた観客も少なくない。披露と倦怠感からぐったりしたダンサーの退屈なゆらゆら動きを見せられることもしばしば。未明になると倦怠感がピークに達し、参加者はヒステリーを起こしたり、架空の仲間と話し、空虚にむかってニヤリと笑い、空中から物を奪おうとした。この状態を「リスになる」と呼んでいたそうな

通常上位3位までが賞金を受け取ることができ、観客は勝者とフロアで踊ることができた。賞金は数百からときには数千ドルだが、プロモーターはそれ以上に稼ぎ、また飲食・場所代を支払わずトンズラしたものもいたという。

参加者がいつまでも減らないと、スプリントやつま先立ちダービーなどで脱落者を出した。ここが見どころのひとつだが物議をかもしたところでもある。
1928年シアトルで行われた19日間のマラソン大会で女性参加者がおこした自殺未遂が発端となり、かねてからの反対もあって議会で禁止条例が可決された。最終的に1937ワシントン州全土で禁止されるに及ぶ。
抗議の例としては、参加者の酷使に反対する人道主義者(原作では抗議運動家の女性二人がでてくるが、グロリアが彼らは偽善だとくさすくだりがあるようだ)、興行のライバルとして敵視する映画事業主などがいたようだ。

ダンスマラソンは30年代後半には開拓すべき処女地を失い、禁止措置も広がり衰退していく。戦後復活し今日でも行われているチャリティマラソンは期間がせいぜい1-2日で、数減らしのための残酷要素も消えた全く別の代物
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