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ひとりぼっちの青春のHKのレビュー・感想・評価

ひとりぼっちの青春(1969年製作の映画)
4.2
「愛と哀しみの果て」「トッツィー」などのシドニー・ポラック監督によるホレス・マッコイ原作の小説を映画化した作品。キャストはジェーン・フォンダ、マイケル・サラザン、スザンナ・ヨークなどなど

1932年の大恐慌時代のアメリカのハリウッドに近い位置にあるダンスホールで、生き残ったコンビが賞金を獲得することができる耐久型のダンス・マラソン大会が行われていた。自分のない主人公は回りまわって軽い気持ちで相方が見つかってこの大会に参加するのだが…

邦題とDVDの表紙からは、絶対にどういう作品か予想できないような作品である。これまではラブロマンスだと思ってちょっと敬遠していたのだが、あらすじを知ってびっくりしてこの映画を鑑賞しました。

24時間耐久レースで男女二組のチームに分かれて二時間に休憩を10分間挟みながら、眠ることもなくず~と踊り続ける地獄のダンスマラソン大会のとんでもない様相を見せられる。これこそ意味合いはちょっと違うけど”血を吐きながら続ける悲しいマラソン”ですよ。

大会出場者はどれも明日の生活すら碌に送ることもできないほどに貧しい生活をしている未来のない人間たちばかり。その中には子供をはらんでしまっている人間、高齢の水兵など様々な事情を抱えてこの大会に参加しているのである。

しかし、あまり魅力的な人間は存在しない。全員どこかヒステリックな様相を呈している所がある。やはり本当に明日の生活すらままならない人間であるがために、シビアにならないと生きていけないということを表しているのかもしれない。

あくまでこの大会を催している側も嘗ては搾取される側ではあったが、後々そのような所から脱するために搾取する側に周った。そこからのこのショーというのが何というか、大会の主催者も闇を抱えてそうなので本当にそこの描写もえぐかった。

この大会はあくまで賞金を獲得するために疲労困憊になってほとんど死にかける人間たちの様相を観客側は娯楽として見ているという所に一種の形而学的な様相も呈している。この映画を自分が見るきっかえになったのもダンスマラソンという単語に惹かれたからだ。多くのこの映画を見ようとした人間たちはこの大会で苦しんでいる人間たちを楽しもうとしてみるだろう。

そのような娯楽としての非情な在り方をも、この映画では終盤の展開でしっかりと提示している。そこが映画の在りようなども含めて社会風刺をしているような趣があって、そこがとても良かったと思いますね。流石アメリカンニューシネマです。

ちょうどこの頃は本当に社会的にも追いつめられている人たちがいたからこそ、このような映画が劇中内の観客的な客層のみに向けたものではなく、当時のアメリカの現状というものを皮肉っていたのかもしれませんね。

劇中では、明確な死亡シーンは最後の所までは描かれませんが、段々と衰弱していって最後には瀕死状態になったり、錯乱状態になってしまう参加者の様子を見ていくだけで、こちらのメンタルもごっそり持ってこられる。

まるで見ている側の人間も、この映画のダンスマラソンに参加したかのような精神的苦痛を負うために、物凄い真に迫る展開でそこがとても良かったと思いますね。

あの子供をはらんでいた女性の中の胎児、絶対に死んでいるような気がしますよ。間違いなくこんなとんでもない大会で母体がストレスを浴びれば絶対に子供に影響を与えそう。何とも言えなくなるのであった。

大会の結末はどうなったのかは判明することなく、主人公とそのパートナーが大会の真相を主催者から聞いて無駄だと思いリタイアしてしまう。そこから彼女が絶望して…

個人的にはあの時の彼女の行動を肯定できませんよ。おかげであの男の人とんでもない前科がついちゃいますし。幇助だとしても絶対に罪の意識から逃れられないと思いますわ。あまりにもせこい。だったらするなよって言いたくなります。

いずれにしても見れて良かったと思います。やはりアメリカンニューシネマはバッドエンドが多くて面白いですね。見れて良かったと思います。
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