垂直落下式サミング

劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

4.5
「アギト」とは限りなく進化する力のことで、人間の未知なる可能性である。そして、これによって人が人でなくなる未来を恐れているのが、人間を作った神だという。
この神が愛するのは自分が作った人間で、自身の創造物が普遍であることを望んでいる。人は人のままでいいと。つまり、神は人間を愛しているが、次の段階に進化しようとする人の「アギト」を憎んでいるのである。
親は子を愛する。いつまでも愛せる我が子のままでいてほしいと願う親は少なくないはずだ。たしかに、自分の手のなかで思い通りに育っている子供を愛することは容易いが、ここではないどこか広い世界をみたいとか、このまま親父やお袋と同じような人生をおくりたくないなどと、生意気を言い出した子を同じように愛せるだろうか。
親は自分が産んでやったと思っているが、子供のほうは自分で勝手に生まれた思っている。残念ながらそういうもんだ。愛するものの可能性を信じるか?産んだからといって相手の全てを分かるのだろうか、相手のすべてを受け入れられるのだろうか、人は愛を受けた者の思い通りに生きなければならないのか、親は気に入らないからといって子の努力や才能を押さえ付け飛躍の機会を奪う権利があるのかと、問われているのは、この感情なのである。
ならば、何でもかんでも向上心をもって際限なしに進歩し続ければいいのだろうか。往々にして、人間は力を得ると、それ御しきれずに破滅を招くし、力に溺れたものが悲劇を生むはずだと、そんなイメージが宗教として我々のなかには刷り込まれている。神に対して謙虚であれと。
時として人間は信じられないことをすることがある。地球の歴史のなかで、これほどおぞましいこと、おそろしいことをしてきた生き物は、人の他にはいないだろう。確かに、踏み込まない方がいい領域があるのかもしれない。これに答えは出せない。
僕が『仮面ライダーアギト』を好きなのは、このような堅苦しいことを言いながら語りは陽性で、主人公の翔一を中心にどこか前向きで明るい雰囲気が漂っているからだ。君は君のままで好きなように生きていけばいい。たとえ誰であろうと人の未来を奪うことはできない。「これをやりたい」「こうなりたい」と思えるのは素晴らしいことだと、そういう当たり前が描かれているのである。
テレビシリーズは、力に憧れる氷川誠。望まぬ力を持ってしまった葦原涼。備わった力を使命だと知り成長していく津上翔一。この三人の群像劇だった。
この劇場版には、力のために命さえも差し出す男が現れる。水城史郎とG4システム。人を使い捨てにする悪魔的計画である。
水城自身は強い使命感の持ち主であり、アンノウンを排除する力を得る為、死を覚悟した上でG4システムの装着員に志願するのだが、その覚悟を無理矢理拉致した真魚ちゃんにまで強いるのは傲慢だ。
人が神に近づく物語のなかにおいても、人が人を殺すこと、人が人を試すこと、自分から死に向かうこと、これは明確にタブーとしているようだ。自衛隊が推し進める計画はアンノウンとも仮面ライダーたちとも対立していくことになる。
G4の暴走を止めようとするG3-X。要潤。かっこいいね。特撮ヒーロー経由での売れっ子ルートを開拓した男だ。オダギリジョーと彼から今日の、松坂桃李、佐藤健、菅田将暉なんかにつながってくるわけである。
「神と人とアギト」の関係をさておいて「人とは何か」にクローズ・アップしようとするこの映画においては、要潤が主役だと言ってもいい。
序盤は子供達に焼き肉をとられる損な役回りを演じるコメディレリーフだが、今回は翔一よりも出番が多い気がするし、マスクを外し氷川誠というひとりの人間として、最新テクノロジーを纏った敵と対峙するアツい見せ場も用意されている。
ギルスなんかは、如何にもリアル路線らしい異形で素敵だと思う。「変身後のすがたが本当の自分」という深い悲しみを背負っている彼は、石ノ森ヒーローの設定に一番近く準じている男といえる。このDNAは龍騎あたりで一旦途切れるが、オルフェノクの設定なんなかに隠れて生き続けて、最終的にアマゾンズになる。
アギトは、劇場版でシャイニングフォームお披露目。あんまり主役感はない。最終形態を劇場版に持ってくるという嫌らしさは、後々商業主義的な悪いニュアンスを含んでシリーズに引き継がれていくことになるが、鎧を破って顕現する格好よさに説得力があるため、このくらいは目をつぶってもいいかもしれない。
そして、藤岡弘である。「今の俺ができないことを君たちがやってくれ!」と栄光の一号は次世代ライダーたちに言葉を託すのだ。継承は行われた。わかったよ、おやっさん。彼に言われたなら頑張れる気がする。人は善く生きられるはずだ。自分なりに正しく生きて、正しくあろうとする人の姿も応援したい。そんな気持ちにさせてくれる。
そんで、アリ型のアンノウンはちょっとエロい。マンホールからヒョコッと首だけ出してみたり、エスカレーターをお行儀よくして上がっていく様子なんかもかわいいし、囚われの秋山莉奈を狙うなどリョナ適性もある。
撮影においては、被写体をとらえる角度や色合いがどこか前衛アートっぽさを匂わせており、00年代初頭のヒーローを信じられなくなった時代にふさわしい空気感を演出。平成シリーズ初劇場版ということで、作り手の張り切りようが伝わる一作。