荒野の狼

革命児サパタの荒野の狼のレビュー・感想・評価

革命児サパタ(1952年製作の映画)
5.0
『革命児サパタ』は原題「Viva Zapata!」である1952年の113分の白黒作品。米国が悪名高い政治的な「赤狩り」を行っていた時の作品で、監督エリア・カザンも対象になり、友人の劇作家・演出家・映画監督・俳優ら11人の名前を自分の保身のために通告したとして、現代でも非難されている。

脚本はジョン・スタインベック。メキシコ革命で活躍したメキシコ南部の革命家エミリアーノ・サパタ (Emiliano Zapata)を描く。北部の革命家パンチョビラや、メキシコの独裁者ディアス大統領、次期大統領マデロ、腹黒い軍人ウエルタら、メキシコ革命の中心人物も登場。

マーロン・ブランドはサパタを好演。本作はメキシコ革命の入門にもなるが、人生哲学一般にも、以下のようなメッセージを残す。

ブランド「You’ve looked for leaders. For strong men without faults. There aren’t any. There are only men like yourselves. There’s no leader but yourself. お前たちは欠点のない強いリーダーを欲するが、そのような人物は存在したためしがない。存在するのは、お前たちのような人物だけだ。お前たち自身こそがリーダーなんだ。」

マデロには同情的な描かれ方であり、サパタの腹心の部下にマデロの理解者が登場しているが、これは本作独自の架空の人物。実際、マデロはサパタらの要求する革命政策を実行しようとせず保守的であったため、サパタが反旗を翻したというのが歴史的事実。他にも、アンソニー・クインが演じるサパタの兄の末路も歴史的事実と異なる点はいくつかある。

本作には架空の人物がもう一人登場。ジョゼフ・ワイズマンの演じるアメリカ人らしき人物で、当初はサパタの革命を助け、後半は政府側をサポートするような役割で正体は映画では不明。設定上は、マルクスレーニン主義のようであり、結局、この人物は後半は映画では悪役となるため、「赤狩り」においては、共産主義者を英雄サパタを裏切る悪役とすることで作品公開をOKとさせたのではと考えられる。しかし、本作を見ていると、ワイズマンの前半から後半の人物像が全く異なり、違和感がある。歴史的には、サパタやパンチョビラの革命を妨害し独裁者をコントロールしていたのはアメリカ政府である(E・ガレアアーノ「収奪された大地(藤原書店)」によれば、「米国はディアスを政治的下僕に変え、そうすることによって、メキシコを米国の従属的植民地に変えたp220」「ウェルタは米国大使ウィルソンと共謀してマデロを暗殺して政権を掌握p222」。映画の設定を知らなければ、後半のワイズマンの役所が同時のアメリカ政府を代表しており、本作は、当時のアメリカ政府の誤った政策を非難している作品とも受け取れる。この辺が、当時のアメリカの政治情勢からすると、監督と脚本のスタインベックの限界だったのかもしれない。

本作のラストでサパタの伝説が生き続ける象徴としてサパタの愛馬であった白馬が描かれるが、「収奪された大地」によれば、これは「山岳地帯を南方へ一頭で疾駆する栗色の馬の伝説p226」である。サパタを殺害しても、サパタの革命精神はより強く生き続けることを象徴した以下は名セリフ。

Sometimes, a dead man can be a terrible enemy. 時に死者こそ最悪の敵になりうる

革命家が死後に伝説となった例に、チェ・ゲバラがあるが、サパタとゲバラは同じ年齢(39歳)で死亡している。サパタの伝説は生き残り、ラサロ・カルデナス大統領の時期に(1934-40年)、サパタの要求の一部は実現した。
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