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チョコレートのGreenTのレビュー・感想・評価

チョコレート(2001年製作の映画)
2.5
黒人差別や女性蔑視で心がカラカラに乾いた白人男性が、貧しい黒人女性に癒やされる、というお話なんだと思うのですが・・・。

舞台はアメリカ南部、ジョージア州。ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)は、州立刑務所・死刑囚監房の看守長なのだが、息子は自分の部下、父親は引退した看守で、親子三代この仕事をしている。

ハンクのチームは明日に控えた死刑の準備をしているのだが、これがハンクの息子、ソニー(ヒース・レッジャー)の初めての死刑。ハンクは息子に心構えを教えるが、ソニーは死刑囚のローレンス(ショーン・コムズ)に必要以上に同情してしまい、嘔吐してしまったり、却ってローレンスを動揺させてしまう。

ハンクの父親バックは、黒人が道を歩いているだけでもイラつき、奥さんが自殺したくらい女性蔑視の激しいジジイで、この人が閉鎖的な南部を象徴しているよう。

逆に息子のソニーは、女性的な優しさもあり、差別心もなく黒人とも友だちになる、新世代を象徴している。

その中間に入ってしまったハンクは、内面はソニーのような人間なんだけど、父親から教え込まれてきた差別心を捨て去ることもできず、すごく葛藤しているように見えました。

このハンクが、「母親にそっくりな、女々しいお前が大嫌いだ!」と、ソニーにやたら辛く当たるんですよね。それは強くならなければダメだという親心なのか、それとも自分が葛藤していることを、息子は葛藤せずに素直に行動していることが気に入らないのか。

いずれにしろ、ソニーはこの愛のない家庭が大嫌いで自殺してしまう。

ハンクとソニーのチームが死刑にしたローレンスの妻レティシア(ハル・ベリー)は、1人で息子タイレルを育てながらウェイトレスをしているのですが、お金がないからボロ車にしか乗れない、ボロ車だから壊れる、壊れるから仕事に遅刻する、遅刻するからクビになる、クビになるから家賃が払えない、払えないから追い出される・・・・と「黒人であるがゆえの負のスパイラル」が止まらない。

そんな生活でストレスが溜まるのか、息子のタイレルは過食症で、甘いものを食べすぎて太っている。レティシアはそれを止めさせようとしているのにタイレルが止めないので、イライラして息子に暴力を振るう・・・というメンタル的にも負のスパイラル。

ハンクも、ダイナーでチョコレート・アイスクリームを食べるのが日課のようなんですけど、朝起きて、トイレでゲロ吐いてからダイナーでアイスクリームを食べるという流れが「こいつ、麻薬中毒か?」と思った。

多分、ソニーもゲロ吐いてたから、ハンクも実は死刑に対する罪悪感がある、ソニーのように繊細な男なんだよ、ってことなんだと思うし、チョコレート・アイスクリームが好きなのは、タイレルと一緒でストレスに対応するためなのかな?って後から考えてみると思うんですけど、映画を観ている瞬間は「こいつヤク中?!」みたいな、映画を作った人が象徴させたいものと、私の解釈が全く噛み合わなくて、ミスリーディングが続く映画です。

中盤、ハンクとレティシアが初めてセックスするシーンも、赤裸々で激しいセックスシーンが長々と続くのですが、「なかなかイカない奴らだなあ〜」と私はちょっと笑ってしまいました。

多分、製作者側は、このセックスが転機になって、2人は本気の恋に落ちる、みたくしているのでは、と後から考えると思うのですが、私は「ああ〜、カラッポな人生をちょっとだけ埋めたくて、セックスしちゃうときあるよな」と、この2人がお互いを思い合ってるなんて微塵も感じられなかった。レティシアが “fill me in, fill me in” って言ってるし。

ただガンガン激しくセックスすることで辛いことを少しは考えなくて良くなるし、セックスでカラダを動かした後はリラックス効果もあるからな〜。

このシーンに、レティシアが空っぽの鳥かごに小鳥を入れるシーンがサブリミナル的に挿入されるんだけど、今考えてみるとあれはカラッポだったラティシアの人生に愛が挿入された、っていう象徴なんだと思うんだけど、観ているときは「なに?チン◯を触ったって比喩?」とかそーいう解釈していた(笑)

それと、ビリー・ボブ・ソーントンの胸毛がすごかったのと、あとなぜか、腰のあたり?が毛むくじゃらで、「そこが毛深いんだ!」と衝撃を受けてしまって、セクシーさも、悲しみの中でなされるセックスの悲哀とかも感じなかった。

でもセックスの後、ハンクに「君を感じることができた・・・こんな風に人を感じたことはない」とかって言わせているので、ここで本気になったってことなんだろうけど、セックスが良かっただけなんじゃないの?今まで娼婦と事務的なセックスばっかりしてきたんだから、そりゃあこっちの方が良いだろうよ!と思っちゃう。

この作品、ハル・ベリーが黒人女性初の主演女優賞を獲った作品として有名らしく、確かにハル・ベリー頑張ってるのはわかるのですが、驚くくらい感情移入しないんですよね。

レティシアがあれよあれよという間に不幸の連鎖にハマっていくのを「あり得ない!」と言ってる人多かったんですけど、私は負のスパイラルって、一つほころびができるとドドド〜!ってやってくることあると思うので、そこをツッコむ気はなかったのですが、ハンクのキャラが「?」でした。

レティシアとハンクの共通点って言うのが、お互い息子を失くしたってことなんですけど、ソニーが自殺したのは、直接的にはハンクが「お前なんかキライだ」って言ったせいだと思うんだけど、それに対しての後悔とか、全く感じない。

ソニーの死をきっかけに、「俺はもう死刑なんか見たくない」と気づき、看守の仕事を辞めるんだけど、ガソリンスタンドを買い取ってオーナーになり、悠々自適に退職後を過ごす。

レティシアが、自分が死刑にしたローレンスの妻だったと知るんだけど、そのことは黙っていて、レティシアを救済してあげることで自分の罪を償おうとしているようなんだけど、なんか随分都合のいい男だな〜と思えてしまう。

だって、自殺したソニーの車を整備して、車がないレティシアに上げたりするんだよ。で、その整備を黒人の整備士に頼むことが「自分はもう差別主義者じゃないよ」みたいな。

死んだソニーのことは本当に、気の毒ともなんとも思ってないらしい。

あと、父親のバックが、レティシアに差別的なことを言って怒らせるんだけど、それを知ったハンクは、父親を養老院にぶち込んで「俺はこんなところで死にたくない」とか言われても「あばよ」みたいな感じで、めっちゃ冷たい。まあ、今までお前の価値観を押し付けられてきたんだ、もうお前の言うことなんか聞かない!ってことなのかもしれないけど・・・。

で、買い取ったガソリンスタンドの名前を「ラティシア」に変えて、「ガールフレンドの名前なんだ♡」なんてウキウキしているし、父親がいなくなったのをいいことに家のペンキを塗り直し、アパートを追い出されたラティシアに「ここに住んでいいよ」と言う。

レティシアの自立を助けて上げるんだったら贖罪になると思うんだけど、お金もなく、アパートも追い出されて行くところもなく、旦那は死刑、息子はひき逃げで死に、というレティシアとセックスし、自分の家に住んでいいよ、って言って、しかもここが笑っちゃうんですが、「君がイヤなら、僕は別の部屋で寝るよ」って訊くんですけど、この状況でレティシアに「1人で寝たいです」って言うチョイスはあるのか?

ハンクが「君の面倒をみたい」と言うとラティシアが「私も面倒見られたい」と言う。するとハンクは、ラティシアにクンニをする・・・。まるで「クンニをするってことは、本気で愛しているってことだ」と言わんばかりに。

でもこれじゃ、お妾さんを囲ったのとあまり変わらないよね。だって、もしラティシアがハンクのこと好きじゃないなあって思っても、出ていくお金もないし。

で、やっとラティシアは、ハンクが自分の旦那を死刑にした人だって気がつくんだけど、旦那が描いたハンクの肖像画があったからって、ハンクが死刑にしたって結論に達するのかな?って疑問に思うし、まあそこはあえてツッコまないにしても、ラティシアはそれでも今のハンクがいい人だから?好きだから?何も言わない。で、一緒にチョッコレート・アイスクリームを食べて、ハンクは “We’re gonna be OK” と幸せそうにしているんだけど、2人がこの状態になるまでに死んだ人や、施設に放り込まれたお父さんとか、そういう人たちに対する後悔とか罪悪感を全然感じないんだよなあ。「俺はラティシアを救った、贖罪は済んだ」というハンクの自己満足にしか見えない。
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