simerikawa

「A」のsimerikawaのレビュー・感想・評価

「A」(1998年製作の映画)
4.5
無知だった私は、ドキュメンタリーにも『主観』があることを知りました。


監督である森達也氏が、当時オウム真理教の広報部長だった荒木浩氏に密着したドキュメンタリーです。

この作品を観た当時、私はドキュメンタリーというものをあまり観たことがなく、ドキュメンタリー=ノンフィクション=『主観』なくただフラットにものを撮った映像、という認識しかありませんでした。
ですがこの作品を観てその考えは180度変わることになります。

『オウム真理教』という団体にも無知だった私は、オウム=悪、みたいは漠然としたイメージを持っており、当然そこに所属する人間も、私たちとはかけ離れた存在なのだろう、と考えていました。
ところがどうでしょう、この作品のいわば主役である荒木浩という人物は、なんかその変にいそうな気優しげな若者で、仲間や団体を守る為に必死なのです。
作中そんな彼に理不尽ないちゃもんをつけ強引にしょっ引こうとする警察や、プライバシー無視で彼らを追うマスコミ達を観ていると、私の中の善悪は逆転していき、荒木氏達に感情移入をし始めるのでした。。。そして同時に『誰かが私にそう観せている』そんな感じがしました。

上にも書いたように、この作品は荒木浩氏を中心に撮影されています。
ドキュメンタリーを撮影する、ということはつまり撮り手が存在し、撮り手が存在するということは、何を、誰を撮るかという撮り手の意思、『主観』が存在していたのです!(すみません大発見みたいに言ってますが当たり前のことですね。。。;)

おそらくこの映画を観た人の多くは、私と同じようにどちらかと言うと荒木氏、オウム側に感情移入してしまうのではないかと思います。
ただこの映画には、やはりどこか異様と感じてしまうような信者達の生活実態や思想も撮影されており、それは荒木氏に感しても同じです。
そんな場面を観たときに、観る側はまた自分の中で善悪の天秤が揺らぎ、最終的にどう思うか、は全て観る側に委ねられます。

この作品は撮り手の『主観』が存在することによって、世間的に明らかに悪側に傾いたオウム真理教の天秤をフラットな状態まで持っていっています。
その上で、自分で考え、選択することをやめさせない、その為にこの映画は創られたのかな、と私はそう感じました。

そして同時に、自分自身の主観の存在さえも使い、私達の天秤のバランスをとる森達也さんという方は、とても思慮深く、いろんな葛藤の中このドキュメンタリーを撮っているのだろうと思うのでした。。。
読んだことはありませんが、『ドキュメンタリーは嘘をつく』という監督の著書のタイトルを見るにやはりそういうことなのではないかなーと、全然違ったらすみません!;

長々書きましたが、決してオウム真理教が行ったことを肯定する意思はありません。

とても見応えがあり、一つの物語としても非常に面白い作品です。興味のある方は続編であるA2とあわせて是非ご覧ください。
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