ろく

「A」のろくのレビュー・感想・評価

「A」(1998年製作の映画)
4.0
映画を見るってことが(いや本を読むってこともそうだし何かを学ぶってこともそうだけど)、自分にはない何かを揺らがせ新たな知見を手に入れる(あるいは手に入れる準備をする)ってことではないかと思う。

僕はもともと決めつけることがあまり好きでないので、だから映画が本が好きなのかとしみじみ思ってしまった。「○○だからダメだ」や「○○だからいい!」ってのは判断停止だと思うんだけど。

でこの映画。いや考えさせる。そもそもオウム事件のあとを追うドキュメンタリーなんだけど、ここで大事なのはオウムはいい/悪いという判断をする前にまずいろいろと考えることなんではないかと思うんだ。この映画に対し「オウムに加担しすぎる。良くない!」って言葉も聞くがそれはあまりに短絡だと思うし、それを森も望んでない。わかりやすい言説は唯一方向の暴力を招く(それは今回のウクライナの事件もそうだ)。それよりは知ることこそが大事なんではないか。

オウム側に立って
まず報道陣や警察が「オウム=惡」という決めつけて動いているのが違和感ある。さらには彼らを貶めるためなら多少の工作など必要だと思っているとこも(警察のあのシーンは唾棄すべきものだ)。そもそも集団と個人は分けて考えてもいいのではないか。集団が悪いならドイツ国民はみな死ななければいけないし、日本もそれはそう。集団と個を分けて考えることこそが近代的な思考ではないか。

オウムの反対側に立って
あまりに「真っ直ぐ」すぎる。真っ直ぐな人の怖さをこの映画は表現しているのかとも思った。怖いのは「やる気のある無能」と言ったのはチャーチルだっけ。他者に対しそれでは暴力的になってしまうじゃないか。「やる気」のある人は他者を許せない。オウムに必要なのは他者を許すことなのかとも思った。それは全共闘なんかにも通じることなのではないか。自己の論理の正しさを証明するために他者を犠牲にするのはやはり間違っているのではないかと僕は思う。あと彼らの居住区の異様さに彼らが気づいてないのも怖い。そこも真っ直ぐから来ているのだろうか。

まだまだ思うところのある映画だった。そして大事なことは結論を出すことを是としないことだ。そして結論から解決に向かわないこと。逆に個別に案件を吟味し、それを考えることのが大事なのではないかってね。

たぶん、広報部の主役、荒木もいろいろと「考えている」。だからこそ最後彼は無言になる。電車に乗って実家に向かうシーンで彼は何を思っているのか。
ろく

ろく