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マイ・プライベート・アイダホのkomoのレビュー・感想・評価

5.0
マイク(リヴァー・フェニックス)は幼い頃に親と離れ、ポートランドにやってきてからはストリート・キッズとして生きていた。中年男に身体を売ることで生計を立てているが、持病のナルコレプシーにより客の前で意識を失ってしまうことが多々あった。
そんなマイクに対し、親心にも近い感情で接しているのは男娼仲間のスコット(キアヌ・リーヴス)。ポートランド市長の息子であるスコットは生活に何の不自由もなかったが、家庭への反発心から自ら進んで男娼となった男だった。
以前から自分の母親を探したがっていたマイクはスコットを誘い、盗んだバイクで故郷のアイダホを目指す。
道中、スコットに恋愛感情を告白するマイクだが、その想いは受け入れられないまま旅が進む。やがてマイクは思いもよらない悲しみに直面する。


私生活でも親友同士だったキアヌとリヴァーは、演技の上でもコンビネーション抜群でした。この2人が並んでいるところを、もっともっと観たかった…。

序盤における雑誌の表紙を模した演出はユーモアに溢れていて、マイクとスコットが世の中を斜に構えて見ている思考が象徴されています。
人と人が肌を重ねるシーンでの演出もこだわり抜かれていて、それは男対男の場合も、男対女の場合も物語にとって効果的な魅せ方となっていました。

生活のためにそうせざるを得なかったとは言え、マイクが男に身体を売るのは彼のアイデンティティであります。
しかし自分でも気づかぬ間に意識を失ってしまうという特徴については、行き場を失った彼の心の慟哭のように思えました。
行き場がないということは、ひたすらに佗しい。

スコットとは親友として深く通じ合っているものの、あまりにも対称的なふたり。
あえて自ら男娼の道を選んだスコットは、まだ引き返す道がある。新たに拓くことのできる道もある。
対するマイクは、男娼としてでなければ生きられない。他のどこへも行けない。
そんな決定的な立場の違いのあるふたりが共有しているように見えた景色は、実は決して分かち合うことのできないものでした。

そうだとしても、人と人が寄り添って過ごす時間は尊い。たとえ一時的であっても、それが心を許し合って前を見据えることができた旅であったのなら、尚更に。
ガス・ヴァン・サント監督の優しい人間描写から、そんなメッセージが伝わってきました。

所属ってなんだろう、感情ってなんだろう、生きる目的ってなんだろう。
稀有な人生を歩む人物の視点から、誰しもが抱く普遍的な疑問を提示されます。
終盤の某人物の葬儀のシーンにおいては、人間が持ち得る愛の多様性を感じさせられました。

やがて画面からスコットが消え、マイクも消えてしまった時、私はなんだか置き去りにされたような気持ちになりました。
けれども私を置いて行ったその人物たちは、何かしらの浮力によっていなくなったのだ。
私もそんな浮力を持ってみたい。
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