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かくも長き不在のNMのレビュー・感想・評価

かくも長き不在(1960年製作の映画)
4.0
オープニングの明るい音楽に反してストーリーはそう明るくない。
テレーズは喜んでいるがどうも悲しくて重い雰囲気。ハッピーエンドのにおいがしない。

パリ。
冒頭のテレーズのカフェの様子がとても良い。いつも思うが映画に出てくるような欧米のカフェは客が大勢で注文が殺到するのに、店員たちはみなメモも取らずにてきぱきと仕事をこなしていてすごい。席番号もなさそうだしその都度客の顔で覚えるのだろう。

そしてバカンスのシーズン。夏は仕事より遊びに向いていると私も思う。日本こそ。

浮浪者の男が『セビリアの理髪師』を歌っていても特に話題にもならないのが凄い。他の人も曲を知っているし歌詞も分かる。
日本でいうとどんな曲になるだろうか。
ただ彼が歌っている時点では私はピンと来ず、レコードがかかってやっと分かった。あの歌でみんなすぐ理解できるほど馴染み深いらしい。
後半レコードを二人で聴くときも少しだが歌詞付きで歌えるほど。

男ははじめ怪しげに見えたが、話し方は知性すらあるし(仏語のせいもあるにせよ)几帳面で規則正しい生活をしている。
やっている作業だけは謎。そして特定のものに不安感を覚える様子。

一体彼は夫なのか。「だとしても意味ないわよ」という忠告が残酷。しかしテレーズは例え別人格だとしても一縷の希望に確信を持つ。もし自分がテレーズだったら同じ行動を取る、という人は多くないだろう。
とは言え別人という証拠もない。

仲良くしていた運転手ともきっぱり別れてしまう。暫く距離を置くとか取り敢えず旅行は行かないとかして様子見をすることもできたのに。

彼よりテレーズの方がよほど変わっているかも知れない。長年の思いはあったにせよ、もう十分に思慮深い年齢だ。しかし今他人の言葉は耳に入らない。

彼は彼なりに自分の生活がある。
記憶が戻れば必ず幸せという保証はない。もしかしたら、思い出したくないという気持ちがある可能性もある。
彼の頭の傷跡は心の傷そのものなのかも。

実は本人だがどうしても名乗れない心情だった可能性だってある。今更人並みの社会生活が営めるか、自由な生活をを捨てられるか、悩んでいだとしてもおかしくない。

名前を呼ばれ立ち止まるが、ひとつの灯りを見て走り出す。
何かを思い出したのか、本人であることを認めたのか。
テレーズは何かいけないことをしたのか。彼女は幸せなのか。

終わり方は最高。静かであっけない。
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