茶一郎

L.A.大捜査線/狼たちの街の茶一郎のレビュー・感想・評価

L.A.大捜査線/狼たちの街(1985年製作の映画)
4.5
 ウィリアム・フリードキン監督が、再び「狂気」を映画に焼き付ける。原題は『To Live and Die in L.A.』=L.Aで生きて死ぬ、80年代版『フレンチ・コネクション』の呼び声高い『LA大捜査線/狼たちの街』!
 『フレンチ・コネクション』、『エクソシスト」とその名を映画史に刻みながら、リメイク『恐怖の報酬』は大コケ、『クロージング』は最低映画賞ノミネートと、低迷期に陥っていたフリードキン監督がもう一度、ドキュメンタリー・クライムアクションの世界に戻った復帰作が今作『L.A.大捜査線』になります。

 【粗筋】L.Aにて、偽札製造団との戦いを続けるシークレットサービス。その偽札製造団のボス=マスターズを追跡していた主人公チャンスの捜査線は、引退2日前の相棒ジミーをマスターズに殺されたことにより狂気を帯びていきます。新たな相棒ブコヴィッチを率いたチャンスはついに法を飛び越え、マスターズ逮捕に執念を燃やします。

 冒頭の自爆テロから、そのテロが無かったことになったような主人公たちによる反省会、そして80年代濃度が高すぎなオープニングまで。全てが唐突で自分の処理速度を上回り、何よりここから登場する人物全てがどこか狂っている、そもそも監督のフリードキンが狂っていない訳がないので、『L.A.大捜査線』が狂気の映画として名を残したのは必然のことだったのだと思います。
 80年代のMTV感覚が散見されながら、やはりフリードキンのタッチは乾いていてクール。そして、チャンスの執念が一線を越えるのと同時に、そのフリードキンの乾いたドキュメンタリータッチは、伝説的な15分のカーチェイスとして映画を爆走させます。フリーウェイを逆走!?これはアクション映画なのか、ドキュメンタリーなのか。
 
 爆走する執念と狂気が行き着く場所は、『フレンチ・コネクション』同様に地獄、文字通り燃えさかる煉獄。
 ラストの恐怖は『エクソシスト』の憑依、自我の同一化のそれと重ねても良いかもしれません。この『L.A.大捜査線』が何より恐ろしいのは、天国と地獄の狭間である煉獄に留まるはずだった男が、先に地獄に向かった男について行くように一線を越える瞬間をしかと映し込んでいるからです。
茶一郎

茶一郎