【愛の詩の話】
『フォレスト・ガンプ』観ました。
トム・ハンクス主演の有名な映画。
観たい、観たい、と思いつつ、先延ばしにしてしまっていたのですが、やっと鑑賞することができました。
主人公・フォレスト・ガンプの足下のショットから始まるこの映画。
“靴”が重要なメタファーになっています。
どこから来て、どこへ向かうのか。
フォレスト・ガンプの人生をなぞりながら、人生を“歩む”こと、そして時には“走り出す”こと。
つい、そんな深読みをしてしまいます(笑)
映画を観始めてすぐ、しまった、と思いました。
私はポップコーンを食べていたのです。
チョコレートにするべきでした。
それもそのはず。
「人生はチョコレートの箱のようなものだ。開けてみるまで分からない」
こんな印象的なセリフから始まるのです。
本編は最初から最後までフォレスト・ガンプのおしゃべりで展開されます。
こんなに魅力的なおしゃべりが他にあるでしょうか。
淡々としたフォレスト・ガンプの自分語りは、私にはまるで愛の詩(うた)のように聴こえました。
余計な飾りがなく、羽が舞うように実に軽やかなリズムで、雨が降り、太陽が顔を出し、生と死が繰り返される。
その中心にあるものは笑顔でも涙でもなく、愛なのだ、と。
「僕は愛を知っている」
フォレスト・ガンプの独りよがりで、だからこそかけがえのない確信が、普遍的な愛へと収束される、狂詩曲(ラプソディ)なのだ、と。
この映画の美しい“足跡”に気付いてしまったとき、日常がそっと色づき始めたような感覚になりました。
バスを待つ少しの間、たまたま隣に座ったフォレスト・ガンプの話に耳を傾けてみるのはいかがでしょう。
話を聴き終わって歩き始めた時、きっとすてきな“足音”がするはずです。