「主役はスターとして人を惹きつける華やかさと輝きがあればいい。演技なんてワンパターンでもいいんだよ」なんて映画では言われたりします。
ゴジラという日本映画屈指のスターであり「主役」は、ほとんどの場合においてセリフさえしゃべらないし、海から現れて、街を破壊するのが、言い方悪いけどお決まりのパターン。
それだけにドラマを盛り上げるのは「脇役」である人間たちの行いです。ゴジラはいつも変わらない。変わるのは人間。ゴジラ映画の「人間ドラマ」とはゴジラというスターの輝きに照らされて、浮かび上がる影なのでしょう。
本作の端々に残る終戦直後の空気感。しかし今と変わらない部分もある。何が変化し、何が変わらないのか。時代の空気と、時代では変わらない普遍性を同時に描いてきたゴジラシリーズは映画界の財産ですわなあ。
2019年「ゴジラ・キング・オブ・モンスターズ」が公開された今みなおすと、芹沢博士がオキシジェンデストロイヤーを持って海に入るシーンは興味深い。キングとの比較。ここにも考えてみるべき普遍性と時代の変化があります。
というか、もうひさしぶりだったけど夢中になってみました。面白かったです。