1954年制作の本多猪四郎監督によるゴジラ映画の第一回目の作品である。
その前年に公開されたハリウッド映画「原子怪獣現る」がほぼ下敷きとなっている。
日本の怪獣映画の元祖と言っていい存在であるが、そもそも怪獣という言葉はまだ無く、映画の中では「巨大不明生物」と表現されている。
それは水爆実験がもたらした太古の生物が巨大化したもので、自然を破壊する人類に報復をしてくるという筋立てであった。
時代的に1945年以降人類は2000回に渡って核爆発実験を行なっており、しかもそのほとんどが海中を含む大気圏内での実施であった。
ビキニの水爆実験による日本の第五福竜丸被爆事件も54年に起こっており、世相としても自然破壊、放射能汚染に敏感な時代であった。よくもまあ輝くようなブルーラグーンの中で水爆を爆発させるものである。
こうした背景の中で「ゴジラ」は大自然からの報復のメタファーとして誕生してきたのである。
映画自体はモノクロ、特撮技術もまだ稚拙で着ぐるみ、模型破壊の世界であったが、実は私はこの稚拙感がたまらなく好きである。というか愛しいに近いかもしれない。
言い換えればアナログでリアリティーを出そうとする努力、心意気にほだされると言ってもいいかもしれない。
デジタルには無い物理的仕振りが心地よいのである。
それってレトロ回顧趣味?と言われるとあながち間違ってはいないかもしれない。であるが故に余計な事まで考えてしまう。
ゴジラの中に入って水中に潜るシーンって相当怖かったんじゃないかとかゴジラが大戸島の民家を襲う時と東京に現れた時のビルや鉄橋、電車などとのサイズ感は合っているかとか一方で考えている自分がいる。
その点良くできている。
問題なのはその後に作られていくこうした特撮ものの中に手抜きなのが見え見えで不埒千万極まりないものが多くなっていく事である。
場面によって怪獣のサイズ感が変わったり、怪獣の背中にYKKファスナーが見えたり、宇宙船の噴射煙がひたすら上に昇っていったりといい加減にしてもらいたい。
TVに至っては言語道断である。
仮面ライダーの宿敵ショッカーが宇宙船から車に乗って降りて来たそのフロントガラスに車検マークが貼ってあったり、仮面ライダーを追いかけるショッカーが車で右折するのにウィンカーを出したりするのを観たことがある。
アナログ感満載だけれどこの映画は手を抜かずに一生懸命に撮ってると感じる。
白黒で暗い場面が多くゴジラがはっきりと見えないところがまたいい。
大戸島の山の尾根の上に巨大な頭を昼間出すシーンがあるが、凶暴性がなく大山椒魚のような丸いシルエットでむしろ愛らしい。
この頃の方が良かったのに時代の変遷の中でいつしか凶暴な顔つきになっていく。
そして志村喬演じる古代生物学者と狂気の破壊兵器オキシジェン・デストロイヤーを創造した芹沢博士の対比もいい。これって手塚アニメでよく出てくるいい博士と狂気の博士の設定に似ている。
それでも芹沢博士はこの兵器を秘密裏に廃棄しても自分の頭の中に知識が残っている以上自分が死なない限りこの兵器が拡散してしまうとして自らがこの兵器を持って特攻するのである。
この辺りは原爆開発者であるロバート・オッペンハイマーへの面当てもあるかもしれない。
ところで志村喬は同年制作の「七人の侍」にも出演していて超多忙であったろう。老け役が多かったとは言え当時まだ49歳であった。
兎にも角にもこの映画から怪獣映画が盛況を極めていくことになるが、自分の中では愛すべき一本となっている。