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阿修羅のごとくのotomisanのレビュー・感想・評価

阿修羅のごとく(2003年製作の映画)
3.7
 父親が自分らとは別の家庭を持っているかもしれない。この疑いは人によっては大うねりとして心を揺さぶる事もあるかもしれない。そんな揺動が露わな娘4人と当の父親に対して、本来は正面から向き直らざるを得ない筈の妻にして母が不動の高みに置かれたような奇妙な構図がこのドラマに独特の、不穏で何か滑稽な様相を添えてくれる。
 この時代を四女の下ぐらいで生きた者としても、仲代夫婦のこの風景は半世紀、四半世紀古めかしく見えることがある。中流・核家族・俸給生活者・近郊一戸建て住まい・戦時から経済成長期の経験者、こうした類別の血が通った仲代家で夫の浮気が家族をどう支配するか彼らならではの揺さぶられが案外三女の恋愛に発展したり、四女と三女の和合につながったり、未亡人長女の開き直った略奪婚活には影響しない?だったり、次女本人の夫の浮気に向き直る姿勢が母に生き写しに見えたりと、うねりでは目立ち過ぎるので消える事のない漣のように娘たちを包み込むようだ。
 結局、娘ら対父のように見えて、どこか漣の震源は母であるような気がしてくる。それは、夫の浮気を知りながらおくびにも出さなかった母が、かの家の前で倒れ、四娘激震の新聞投稿の痕跡を残した事にある。こうした状況証拠から母の胸中、何事かが再現できるかというと心許ないが、少なくとも今また四娘の一族が仲代家に会する事ができるのも、あの母のお蔭であろうと得心できる。フラれた仲代夫と小林夫がフラれて帳消しというわけでもないだろうが、問題解決の一つとして旧状復帰という何とも消極的なうやむや感ではあるけれどともかく安着する事に対して、なにを壊し復旧を困難にしようとも不正を解明し罪を誅求する事の衝撃を頭の一方で想像し、それが無い事を訝りながらああなった事にホッとしているのである。
 NHKドラマから40年も経ってしまった。あのときは遠くトルコの使節団の来訪がきっかけとなる事件の当事者、佐分利信でなければ叶わなかったろう物語が、こうも毛色を変えてガチャガチャと現れて、佐分利の影から出られないような、またそれでしか叶わないような、ちょっとしたおとぎ話のような事だった。

 なぜとは言えないが、NHK版を大事にして、二度と作ってはいけない気がする。
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