ゆず

塔の上のラプンツェルのゆずのレビュー・感想・評価

塔の上のラプンツェル(2010年製作の映画)
3.8
のびのびとしていて良いと思う。フライパンを振り回すプリンセスの姿は親しみやすい。念願かなって外に出られた喜びと、絶対的存在である母親の言いつけを破ってしまった罪悪感とが、交互に押し寄せる精神病的なシーンはブラックユーモアに溢れているし、強面揃いのならず者たちが意外な夢や才能を持っているというのも私たちの先入観を逆手に取った面白い展開だ。美しい場面は文句なしに美しく、城下にたどり着いた直後のダンスパートや「輝く未来」は好きなシーン。

ラプンツェルと魔法の金色の花の関係は、必ずしも良いことばかりとは限らない。妊娠中に病にふせった王妃を花の魔力が救い、それは生まれてくるラプンツェルの命も間接的に救ったのだが、魔力がラプンツェルの髪の毛に宿ったためにゴーテルにさらわれてしまう原因にもなっている。冒険の最中に髪の毛の魔力がラプンツェルとフリンの命を救う展開もあるが、しかしやはり髪の毛の魔力がある限り危険がつきまとう。金色の花の魔力は、良いことも悪いことももたらす。というよりも、行き過ぎた力は周囲に様々な影響を及ぼすのだろう。その諸刃の剣である花の魔力から解き放たれて幸せになるラストを見ると、この魔法の力は一種の呪いでもあったのかなと思う。

さらに金色の花がそもそも誰のものだったか考えると中々難しい話にも感じる。魔法の花を見つけたのはゴーテルで、それを自分の若さを保つためだけに隠し持っていたのは、罪深いとしても罰せるだろうか。王妃が命の危機にあるからといって、金色の花を差し出す義務がゴーテルにあっただろうか。花をゴーテルから奪う形になった国王の側も、まさかゴーテルが隠していたなどとは露知らず、そこには些かの悪意も罪悪感もない。物語は不幸なすれ違いから始まっており、赤ん坊の誘拐、18年間の監禁生活とこじれていく。ゴーテルはだんだんその本性を露わにし、最後にはしっかりとヴィランとして役目を果たすのだが、問題の本質はゴーテルではなく、この世にひとつしかない宝物は誰のものなのか?というところにある気がする。最初に見つけた人間のものなのか、それとも本当にそれを必要としている人間のものか。こう考えると単純な勧善懲悪にも見えず、ゴーテルも金色の花に呪われた被害者だったような気がしてくる。
ゆず

ゆず