大映以外にも手を広げたいという気持ちは重々なのだが手が回らず、徐々に慣らすため京、仲代も出てるこれを。
辛うじて宝田、杉村、高島、加藤は馴染みあり
同時代の日本でも全く別の世界観に感じられて面白いところ
やはり大映(といってもまだ時代劇は全然わからないのだが)が直感的に好きになったのは(一部除いて)スノビズムに陥らぬ粋なインテリ感、役者が駒として動かされてる感じ、作品が役者に先立つ感じ、会話から導き出すエモーション、都市、モダン、メロウネスなどへの執心が概して強く思われるからなのだが、題材としては大映で好みとするものと共通するような今作においても全く別種の風合い、一本観ただけでわかったもんじゃないが、作り手側がちょっと低めな大衆のレベルに合わせてる、または楽天的に、"ベタをベタに"やっている感触があった
例えば杉村が三女、四女の慢心を咎める所など、シリアスな音楽がつけられ、必要以上のわかりやすさで変に浮いてるとこなど、非常に俗っぽかった
黛、オープニング曲はとても良かった
コメディ要素、もはやいい按配のユーモアでなく、終始止まらない出来すぎたギャグの応酬という感じで私的には疲れてしまうな、面白いのだがあくまで比較として…
だからなんだか京や仲代も全く別のユニヴァースの別の文法で動いている!と不思議な感じになる
今作、かなり聞き取れない死語?や言い回しが多かった
前後のドリー、ズームインズームアウトがやたら多用されてるのも気になった