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十二人の怒れる男のchichichiのレビュー・感想・評価

十二人の怒れる男(1957年製作の映画)
4.5

"テキサスの5人の仲間に続いて、
ヘンリー・フォンダ!再登場です!

この作品も1959年と更に古いのですが
フォロワーさんのタイムラインでしばしば見かけてこれは面白そうってことで鑑賞です。

やっぱり、間違いありませんでした!
Filmarksで高評価の傑作はやはり観る価値がありますね!


父親殺しの容疑の少年の命をかけた判決の行方を12人の陪審員が有罪か無罪かを議論する様子を描いた密室劇です。

登場人物は犯人の少年を裁く権限を持った12人の陪審員のみ。
少年が犯人だと裏付ける証人や物証があり皆有罪を確信し、早々に解散したがる中、少年に無罪の可能性があると主張する唯一の陪審員(ヘンリー・フォンダ)が現れたことから展開される。

各陪審員には名前もなければ犯人の少年は冒頭の裁判で顔が映るくらいでセリフすらなく人物像がまったくわからないまま。

証人たちの証言や当時の現場の状況、実際に犯行を行なったとしてそれぞれの行動にかかる時間やその目的に関して検討を重ねることで違和感が積み重なって行く。

そして議論が始まると偏見、思い込み、強弁、放棄、人格攻撃、論点のすり替え、思い込みと事実との混乱、根拠の無い意見などなど論争の展開に…

徐々に疑問が増えて行くたびに浮かび上がる"本当に少年は犯人なんだろうか?"という大きな疑問。
少年が犯人ではない可能性を少しずつ高くしていく緻密で丁寧な議論にいつしかのめり込んでいく。

無罪というのは主人公の陪審員8が言っているように
"殺していない"ではなく
"殺したと確信できる根拠がない"ということ。
"どこまでを確かであるとみなして共有し、どこからが意見の相違となるか"が鍵になる。

やがて、陪審員は徐々に根拠が曖昧なことに気づき、自分の意見に自信がなくなったり苛立っ行く様子が表情や態度に表れいく心情表現が秀逸。

もう、これ以上は、話すとネタバレになるので辞めておきます。
(結末は、分かるかもしれませんね)

この作品は、現代では、主流となった映画やドラマでもやりがちな当時の状況を回想や説明しながらの事件の再現といったことを一切していません。
視聴者の頭の中で事件の状況を想像させ楽しめる作品としてやはり傑作として位置付けたい。



※ ひとりでも反対意見の人がいる限り、その意見を無視することなく、汗だくになって声を荒げながらも議論が続けられるところにアメリカの民主主義の意義を感じました。
そして、思慮分別の大切さ、感情的であることの愚かしさを痛感しました。
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