荒野の狼

あ・うんの荒野の狼のレビュー・感想・評価

あ・うん(1989年製作の映画)
5.0
映画『あ・うん』は、1989年公開の114分の作品。映画監督の西川美和が、エッセー「映画にまつわるXについて」の中で、向田邦子について「足りない女 向田邦子に学ぶ、やせ我慢の色気」の題名で、向田が描いた人々は「物足りなさを秘め、ねたましさを秘め、寂しさを秘め、その三つくらいの秘密をお腹の底に沈ませて、うっすらとやせ我慢の艶を薫らせる(同書p251)」と書いているが、本作で高倉健が演じる主人公は、まさに、やせ我慢のカッコよさを魅せている。無理に無理を重ねてまで、戦友・板東英二、とその妻・富司純子、娘・富田靖子のために不器用に、自分の本心を隠し、時には善意の嘘までついて尽くす高倉健。本作の高倉は、他作品とは異なり、一般人である。特殊な能力を持ったヒーローでも、過去のある人間でもない。

高倉のプラトニック・ラブの相手として富士純子は美しく、チャーミングであり、坂東との男の友情も、時にコミカルでよい。しかし、本作で出色なのは、高倉が足長おじさん的な役回りである富田靖子との関係。本作の最終版で高倉が富田に示す行為はたまらなくカッコよく、本作のハイライト(予告編で、このシーンが出てきてしまうので、予告編は見ずに、本編をまず見ることを勧めたい)。富田と東大生・真木蔵人の恋愛は切なく、真木が、北村透谷と「プラトニックラブ」について語ったり、堀口大学訳のヴェルレーヌの詩集を、富田にプレゼントするのに対して、富田はヴェルレーヌの「巷に雨の」詩を高倉の前で暗唱する。これらの昭和初期の甘い文学の香りのするエピソードは、向田自身が、こうした恋愛に憧れる文学少女だったのではと想像させる。私自身、本作を視聴後に、手持ちのヴェルレーヌの詩集を読み返し、本作とヴェルレーヌの詩に共通する人生の切ない心情に共感を覚えた。

本作を見てしまうと、高倉、富士、富田は、他の役者は考えられないほどのはまり役。現代に置き換えても、人の心情という点では通じる部分の多い作品。一方、この時代ならではの話は、特高警察、戦勝報道と徴兵など、戦争の暗い影が明らかなこと。戦争に否応なく巻き込まれて、人生が変わってしまうであろう本作の主人公たちの将来を視聴者に想像させることで、反戦のメッセージが強く伝えられている点も重要な作品。
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