7作目ね、ハリー・ポッターなら完結なんですけど、寅さんシリーズだとまだ1/5以下という(笑)見れんのか?最後まで
今回のマドンナは知的障害をもつ女の子・花子。かなり異色のマドンナなのでは?青森から出てきて紡績工場に勤めたが、過酷な労働に脱走して、悪い男に捕まり、バーで働かされ、さらにそのバーも脱走して故郷に戻ろうとしているところを寅さんに助けられる……。という筋なんですが、この女の子を放っておけない寅さんが本当に優しくて泣けてしまう。
その後、とらやで花子と再会して、2人でさくらの散る中泣く場面がすっごく良い。寅さんが花子の涙を拭ってあげるのね。花子って知的障害があって、この時代でも”弱者”といわれる人だったと思うんだけど、よく考えると寅さんも今の時代に生きてたら発達障害って言われてた所謂”弱者”の人だと思うんです。弱いもの同士が下町の庭で、純粋にお互いを思いやって泣くという、人間の綺麗な部分を煮詰めたような場面でした。寅さんは常に素足に草履ばきで、「その歳になってそんな靴で」と言われたりしてるんですが、この場面では、その寅さんの草履ばきの素足と花子の汚れた素足が一緒の画面に映る印象的なカットがある。きっと2人はお互いに”生きづらさ”を共有できる存在だったんだという表現だと思う。2人とも歩く道は違えども、ずっと幸せでいてほしい。
全編通して印象的だったのが、周囲の人々が、花子や寅さんに、”知的障害””発達障害””弱者”という言葉で区切った接し方をしていないこと。この感想を書いた私のように、そういう人々を言葉で区切ったりしない。あくまでも、普通の人の延長のようなさらっとした嫌味のない接し方をしている。まだこういう言葉が浸透していなかったころなんでしょうが、今だったら診断名を付けられ、”普通の人”から切り離されてしまうような人が、地域に溶け込んで生活している様は知的障害や発達障害を持つ人が生きやすい世の中を実現する参考になるのでは?と思った。
第6作まで観て、「私はいつまでこの純情おっさんのむずキュンコメディを観させられるんだ……?」と多少思っていたところで、この社会派のテーマ。松竹はだてに松竹でないということがわかりました。