ゆうちゃん

告白のゆうちゃんのネタバレレビュー・内容・結末

告白(2010年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

映画の題が『復讐』ではなく『告白』であること。これは重要な違いだと思う。
主人公は復讐をしたかったのか。復讐が目的だったのか。映画の主題は復讐か。違うだろう。主人公含め、犯人たちに「告白」させること、それが主題だろう。登場人物それぞれの告白。
けれど、主人公は犯人たちを更生させることを目的とはしない。最後の「なんてね」という言葉でわかる。そのような綺麗な善には誘惑されない。更生させたければ、本当はさっさと事件のことなど忘れてしまえばいいのだから。

この映画ではしゅうやもなおきも悪者として描かれるが、自分がこの作品のなかでなっていたかもしれない人物は、やはりしゅうやかなおきだなあと感じる(おそらく主人公の女教師も橋本愛が演じた少女もそうだったろう(だから二人の告白が理解される))。中学生、つまり思春期というのは、善と悪、両方の側面を知る時期だ。そして、善と悪の間で揺れ動き、悪からの誘惑と葛藤する。少なくとも僕の中学時代はそんな時期だった。
そのなかで、善を選び取る賢さ(生き抜き方)を知り、大人になるのだ。
真に倫理を理解している大人というのは、善と悪の両方を理解している。そのため、いつでも悪を起こそうと思えば起こせる。そのなかで、善を選び取ることこそが倫理的な行為なのだ。

湊かなえは、中学や高校の教室に漂う気持ち悪い空気、退屈、笑い声、ノイズ、うじみたいな匂いを描くのがほんとうに上手いなあと思う。その場にいるような気持ちになる。
ちょうど中学、高校の頃自分をひどく苦しめていた禍々しいうじゃうじゃが表されていて、思い出して涙がふと出てしまった。悲しいとかではないのになぜだろう(ずっとわからなくて記憶の隅に置き忘れたものがはっきりと輪郭をもった。何に苦しめられていたかがはっきりとしたからだと思う)。
その頃に観ていればよかったなと思った。R15だけど。
みんなああいう感覚を当時覚えていても、年をとって忘れてしまうからね。

他の人のレビューを見るかぎり、ほとんどのひとにこの作品の本質は理解されていないようだ。イヤミスなど的はずれなことを言われたり。まさに、この映画の教室のなかのようで皮肉だ。

〈ここで余談〉
以前京アニの放火事件があった際、立命館か立教かの教授がツイッターで「殺人犯を生み出したのはこの社会だ。この社会で彼を更生させていかなければならない」と言っていた。
『告白』のなかのウェルテルという教師をみてこの教授のツイートを思い出した。ウェルテムも同じようなことを言うだろうなと思った。
映画を観た人ならわかるとおり、ウェルテルのような考え方こそ犯人に対する理解から一番遠い。
このような浅薄な考えと寄り添いこそ、悪への冒涜、つまり、正義への冒涜だと思う。悪を冒涜することは、正義、善悪という物差しを冒涜することだ。悪は悪として、悪であるがゆえに、裁かれなければならない。裁きは復讐ではなく、彼自身のためにされるのだから。