開明獣

道の開明獣のレビュー・感想・評価

(1954年製作の映画)
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とてつもなく難しかった。時折、こういう評価不能の作品に出会うんですよねえ。

普段なら、鑑賞中から観賞後にかけて、記憶からや脳髄に浮かんだイメージを繋ぎ合わせてレビューがパッと反射的に書けるんだけど、本作に関しては機能しない。ところどころピースの欠けたジグソーパズルのように、断片だけが浮かんできて、全体として俯瞰出来る構成にならない。ネタバレサイト見るなり、映画評論家のコメント探せば?となるのでしょうが、それが真底、嫌いなんですよね。

自分は映画評論家というものを殆ど信じてなくて、ネタバレサイトとかも見ません。ノースロップ・フライという著名な文芸評論家がいて、同氏は文学評論を学問の立ち位置にまで引き上げて論ずることに成功した希有な人物なのですが、同氏と似たような人を映画の分野ではネット上や、映画評論家で見たことがありません。ネタバレや、これ見よがしの解釈をメシの種にしてるなんて、映画産業に寄生している無用の長物と断じたら、それは誠に傲岸不遜な発言なのかもしれませんが、私には作品を貶める存在にしか見えないのです。

その点、フィルマという一種のNPOのようなコミュニティでのレビューは営利に全く関係ないので、安心してとても楽しく読めるのです。そこには、金儲けに関係のない、純粋な映画に対する気持ちが表れてるだけです。古の賢人が書いた書物が不特定多数の啓蒙の為に書かれてるのに対して、昨今の自己啓発本の殆どが著者自身の金稼ぎの為に書かれてるのに、ある種似ているなと思ってます。TwitterやYouTuberのフォロワー集めも同じですね。

とまあ、天邪鬼なので、フィルマ上のレビューを時間のある時に参照しつつ、いつか本作に対して自らの考えを構築出来たらいいなと愚考するのであります。どうも、昨今の先の見えない不確定で不透明な状況下が、文章にいつもよりも毒を含ませてるようですが、平にご容赦ください。

フェリーニ初鑑賞は、かなりの歯応えでした。でも、直感的に嫌いではないと感じています。今はその感じたところを言語化(頭の悪い自称マーケティングのプロとかが多用するのであんまり好きな言葉ではないけれど)するのに時間がかかっているけれど、いつの日か、この作品が語れるようになりたい。それもまあ映画鑑賞の醍醐味の一つではないかと、自らの頭の悪さを棚に上げて、小生意気にも思うのです。
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