亘

道の亘のレビュー・感想・評価

(1954年製作の映画)
4.0
【不器用な愛のすれ違い】
イタリアの田舎町。ジェルミーナは、亡くなった妹ローザの代わりに旅芸人に出される。明るい彼女は旅芸人として仕事をこなすが、頭が悪く気分屋のためザンパーノを困らせる。2人は各地の祭りを転々と回り続ける。

ザンパーノとジェルミーナの正反対コンビの触れ合いを描いた作品。ザンパーノは粗暴で下品で感受性がない狡猾な男。一方ジェルミーナは感受性が高くて気分屋、頭が悪いけど明るい女性。感情を出さないザンパーノと感情的で笑ったかと思えば急に泣きだしたりと感情がころころ変わるジェルミーナ。上手くいかなそうな2人の関係性が変わる様子は見どころだし、何よりこの2人の関係性は男女の考え方の違いという普遍的な問題にも通じていて不思議と見入ってしまう。

貧しい家庭で育ったジェルミーナは、旅芸人として出稼ぎ中に亡くなった妹ローザの代理としてザンパーノについていくことになる。彼女からしてみると粗暴なザンパーノと生活することは気が進まない。だけど家族の生活のために稼がなければならない。ジェルミーナにとってこれは仕事でありも動機と言えば家族のためという使命感なのだ。だから金のためになんでもするし、あくまで"仕事"としてザンパーノに尽くす。一方ザンパーノにとって彼女は単なる商売道具にしか過ぎない。周囲には妻と紹介するが、セクシーな女がいればそちらになびき自分の欲球をみたすのだ。まさに序盤の2人は雇い主・働き手の関係。だからジェルミーナはある朝逃げ出す。

しかしこの脱走から2人の関係性が変わり始める。ジェルミーナは町で祭りに遭遇。飲んで酔っ払うが孤独から泣いてしまう。一方のザンパーノも初め気にも留めない雰囲気だったのに次第に寂しがりジェルソミーナを探しに来る。雇い主・従業員という関係性が、互いを支え合う関係になるのだ。さらにローマでのサーカス団との活動中にザンパーノが逮捕されたらジェルミーナは悲しみザンパーノの帰りを待つし、後には「あんたといるところが家」、「少しは私のこと好き?」と話す。ジェルソミーナにとってのモチベーションは、完全に仕事のためからザンパーノへの尽くすために代わる。

サーカス団の綱渡り師イル・マットもジェルソミーナに大きな影響を与える。彼は明るくてジェルソミーナを楽しませるし、彼女にラッパを教える。ジェルソミーナが落ち込んでいる時には「小石にだって存在する意味があるんだ」と話し彼女を勇気づける。イル・マットとの出会いはジェルソミーナにとって大きい経験だったんじゃないかと思う。ただこのイル・マットこそジェルソミーナとザンパーノの別れを生んだ原因。イル・マットの挑発に怒ったザンパーノが彼を殴り投げ飛ばすとイル・マットは死んでしまう。ザンパーノは気に留めないが感情豊かなジェルソミーナは彼の死を深く悲しむ。そしてイル・マットを気に掛けつづける彼女に愛想をつかしたザンパーノは彼女を見捨てて去るのだ。

そして数年後ザンパーノは、とある町でジェルソミーナの曲を聴く。町の人によると彼女は4,5年後その町にいたが1人寂しくなくなったという。きっと彼女はザンパーノとの旅芸人の日々を思い出したりしていたのだろう。一方のザンパーノも彼女を思い出し彼女のいた浜辺で泣く。2人とも互いに好意を持っていていつもそばにいたのになぜすれ違い続けたのか。

大切なものは今大切とは思わなくても、失ったときに初めてその大切さに気付くのだろう。

印象に残ったセリフ:「石でも何かの役に立つんだ」
印象に残ったシーン:ジェルソミーナが脱走の末に街で泣くシーン。ジェルソミーナがザンパーノに好意を確認するシーン。ザンパーノがジェルソミーナを思い出し泣くシーン。

余談
・ザンパーノ(Zampano)は、動物の脚などを表すzampaから来ています。ジェルミーナ(Gersomina)は、ジャスミンを表すgersominoから来ています。またイル・マット(Il matto)は狂人という意味です。
亘