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ザ・ロードのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

ザ・ロード(2001年製作の映画)
4.5
【俺の頭の中では完璧な映画なんだ!byカザフスタンの映画監督】
皆さんは、ダルジャン・オミルバエフ監督をご存知だろうか?レフ・トルストイの「アンナ・カレーニナ」を現代カザフスタンに置き換えて映画化した『Chouga』が2010年のカイエ・デュ・シネマ年間ベストにて9位に選出されたことからご存知の方も多いでしょう。しかし、カザフスタン映画だけあってか彼の作品の観賞難易度はSSRである。インターネットで調べるとカザフスタンのタルコフスキーというあだ名がついているらしくめちゃくちゃ面白そうなのでここ数年ずっと探していてついに見つけました。フランス版MUBIで発見しました。しかも東京国際映画祭で上映された『ある学生』 も配信されていました。ただ、字幕はフランス語字幕のみ。こういう時、フランス語やっていて良かったなと思う。さて今回紹介する『THE ROAD』はNHKが製作に関わっているにもかかわらず映画祭で上映されたきり日本公開されなかった幻の作品です。これがとてつもなく傑作でありました。

まず、驚いたのはダルジャン・オミルバエフ監督は相当なシネフィル系監督であることだ。ロベール・ブレッソンのような厳格なカット繋ぎと手のクローズアップ。イングマール・ベルイマン『野いちご』のようなシンプルなロードムービーに脳内イメージを織り交ぜることで奥深い魅力を引き出す演出。そしてアンドレイ・タルコフスキー的水演出と、巨匠のテクニックを余すことなくストイックに磨き上げて画を作り込む。この力強さにノックアウトさせられる。映画は元来、画の連続体による芸術故にサイレントにしても物語が分かる作りにする必要がある。

本作の場合、あやとりを使った情事に鋭い画の連続体が垣間見える。映画監督Amir Kobessov(Jamshed Usmonov)は編集室であやとりをしながら女助手といちゃついている。赤い糸を美味しそうに絡め取るAmir。カメラは二人の太腿へと遷移し、肉体の接触による興奮をモンタージュ効果で強調させていく。すると扉が開く音がする。女助手はハッとした顔で扉の方を向く。Amirがニヤつきながら振り返る。そこには妻(Alnur Turgambayeva)が立っていた。彼女は弁当を置き、ムスッとした顔をしながら「召し上がれ」と言い放ち去っていく。女助手も去っていく。男は扉の前に立つが、扉を出て和解しようとしない。内なる世界から出ようとしないクズっぷりを画で表現してみせるのだ。

同様に、息子(Magjane Omirbayev)がテレビで通俗な空手映画を観ているのにイラついた彼がドストエフスキーの特番に切り替えると、息子はAmirの部屋に行きドストエフスキーの本に落書きするユーモラスな場面も最小手数のカット繋ぎで描いてみせる。

さて、彼は母の危篤の知らせを受け旅に出る。ロードムービーは内なる自分との対話である。ひとり旅はより一層それが強調され、過去がフラッシュバックしていく。冴えない自分の人生のフラッシュバックと対比するように、妄想が生み出すフィルムノワールが提示される。これがまた凄まじい。川に落ちるボールをおじいさんが拾うと、男が銃を構えており撃たれる。するとまたボールが川に落ちる。または銃におじいさんが撃たれると、パサっと新聞が落ちるといった鋭い殺し方が反復しながら提示されるのだ。クリエーターが脳内の最強の世界を、解体/再構築していく過程がおもむろに現れる。一方で現実における過去は、官能シーンに「これはモンタージュだ」と言い訳したりする大したことない人生だ。

そんな現実と理想の乖離の中で彼はムラムラし始める。そして食堂の女性に一目惚れし、泥に沈みゆく車の中で情事に明け暮れる妄想をし始める。この際の車の扉を開けようとする女性と止める監督の手だけが表示される攻防シーンがカッコ良かったりする。

こんな傑作が日本公開されていないとはなんとも悲しいことだ。ロベール・ブレッソン好きが多い日本なら、公開してもバチは当たらないのではと思う。ダルジャン・オミルバエフの他の作品も観てみたいと強く感じた。
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