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隣人は静かに笑うのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

隣人は静かに笑う(1999年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

1998年製作のアメリカ映画。挙動不審の隣人の過去を探るうちに、事件に巻き込まれる男の不条理な姿を描くサスペンス作品で、結末のシビアさゆえに、レンタル禁止、セル版も絶版となった問題作。

前半に登場人物とその背景を丁寧に描き、中盤は隣家の様子を探る「裏窓」に似た距離感と、近づいて来た男の正体を探る「知らすぎていた男」にも似たヒッチコック調のサスペンスが展開する。

そして終盤はテロの阻止と息子を救おうとするハラハラドキドキのアクションが待っており、ハリウッドの定石と良心を覆す結末が待っている。
尚且つ、ストーリーの殆どが伏線であったことを思い知らされる脚本は見事というしかない。

前半のホームドラマな描き方と、結末の衝撃を比べると、あまりの落差に驚嘆するだろう。

米サイトBuzzFeedが、「信じられないほど絶望的な結末を迎える映画32本」の中に選んでおり、隠れた衝撃的サスペンスの傑作だったが、結末が結末だけに、まさかAmazonプライム・ビデオやNetflixの無料配信で見ることが出来るとは思ってもみなかった。

週末を利用して、連続して再見した。
1度目は、記憶が薄れていたため衝撃は大きかった。2度目で細かな伏線回収の見事さに驚き、3度目は頭を整理すべく、このレビューを書きながら見た。

私は1999年の日本公開当時に、秀逸な邦題に惹かれて劇場で見た。
当時は私も若く、仕事と生活で精一杯。映画は週一の息抜きだった。
国家や政治など深く考える余裕もなく、この映画に描かれるアメリカの闇など、感じることも、考えることも出来なかった。

90年代後半はサスペンスの秀作が世に出された時期。派手なビジュアルやアクションはないが、二転三転する脚本と結末は「面白いがあり得ない」という印象だった。

しかし、それから半年しないうちに911テロが発生。
テロとは何か?時間が経つにつれ、この映画をいつか再び見たいと思っていた。

日本はつくづく平和な国なのだろう。
平気で本作がネットで配信されている。
果たしてアメリカでは配信されているのだろうか?

転勤が多い家族持ちの方、また近隣の転入転出が多い住宅地の方には決して他人事ではない。
すぐ近くにある「今、そこにある危機」を描いた作品である。
性善説を信じており、人を信じて、健全な社会生活を送りたい者は、見ないことをお勧めする。

煽るだけ煽ったが…この作品の脚本の見事さを伝えるには、ネタバレするしかない。
ココからは映画を見た人がどうぞ。
ストーリーを順に追うので、長いですよ。

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舞台はアメリカ・バージニア州、アーリントン。
白昼の住宅街で大学教授のマイケルが、隣人の息子を助けたことから、隣人夫妻との交流が始まる。

テロリズムの歴史を教えている大学教授マイケル・ファラデー(ジェフ・ブリッジズ)は、ある日、白昼の住宅地の路上で大ケガを負った少年ブラディを救助する。

(まずココがゾッとする!火傷を負い、朦朧として歩く幼い子ども。住宅街てあるにも関わらず、主人公以外は誰も助けようとはしない。なかなかシュールな状況だ。いや、主人公以外は誰も助けないことを想定していたのかもしれない。)

ブラディは隣に越してきたラング家の息子だった。これが縁で、ファラデー家とラング家の交際が始まる。

ブラディのケガの理由が、越して来たばかりで友達が少なく、近所の子の気を引くために花火の束に火を付けて火傷したというもの。

(白昼に花火。そして筋書きの整いすぎた理由が、かえって不自然な状況である。
鑑賞後に思い返すと、これが偶然ではなく、子どもの怪我さえも意図的に仕組まれたものだったのか?と思うと、ココもゾッとする)

設計技師を名乗るオリヴァー・ラング(ティム・ロビンス)と妻のシェリル(ジョーン・キューザック)には3人の子供がいて、マイケルの息子グラントはブラディと親友になった。

(ラング家の子供たちにも違和感がある。
父と母は癖のある黒髪であるのに関わらず、子どもたちは綺麗な金髪なのだ。「目的の為に作られたニセの家族」と思うとゾッとする。)

さらにマイケルの恋人である大学院生ブルック(ホープ・デイヴィス)も交えた隣人同士の交流で、2年前に妻を失ったマイケルの悲しみも、息子グラントの寂しさも癒されていった…。

(そのマイケルの心の変化を象徴するように、マイケルの講義が挿入される。)

マイケルは、大学の講義でテロの歴史を教える。この時期の内容はセントルイス連邦ビル爆破事件。
多くの死者を出したこのテロは、電気技師スコビーという人物の単独犯だとされた。
マイケルは講義でそれを生徒たちに教えつつ、その矛盾点も指摘する。

動機については「脱税疑惑を持たれたから」とされていたが、死の直前、スコビーは仕事で出世の予定があり、その時期に死ぬのはおかしい…と、マイケルは指摘する。

犯人が見つからないと、国民の不安を煽る。そのため動機が薄いにも関わらず、スコビーを国家が犯人に仕立て上げ、「すでに犯人は死んだ」と国民に安心させたと、国家への不信に満ちた持論を展開する。

(この「セントルイス連邦ビル」爆破が、ゾッとするラストへの大きな伏線となる。マイケルの仕事さえ、把握して、監視されていたのか?と…思うと、やはりゾッとする。)

ラング家を訪ねるうち、マイケルはオリヴァーが何か隠し事をしていると疑うようになる。

オリヴァーの書斎には、ショッピングモールの増築と言いながら、明らかにオフィスビルである設計図面があった。

(これは、敷地面積に対する壁の仕切りの多さで、素人の私の目でもおかしいと思う。)

更にマイケルのポストに隣家のオリバー宛てに、誤配の郵便物が届く。
彼は「カンザス大、78年卒」と言っていたのに関わらず、ペンシルベニア大からの同窓会の通知がきていたのだ。

(日本でもそうだが、運転免許更新と同じで、同窓会通知というのは、真っ当な生活をしていれば、所在を追いかけて来て、本人の所に確実に届く。アレ?とマイケルが思うのも無理はない。)

彼の過去を調べると、オリヴァーはウィリアム・フェニモアという名の爆弾魔で、しかもすでに死んでいる人物、オリヴァー・ラングの名に改名していたことが分かる。

(この辺は劇場鑑賞当時にもゾッとした。日本でもご近所とのトラブルが報道されるようになったのは、98年の林眞須美被告の和歌山毒物カレー事件から頻度が増したのである。
隣人が疑わしいとなれば、良く調べて警戒するのは、その当時、急務なことのように思えていたからだ。)

テロリストが名前と身分を偽り、何かを計画していると疑ったマイケルは、妻の同僚だったFBI のウィット(ロバート・ゴセッティ)に助けを求めるが、相手にしてもらえないことに苛立つ。

FBI に所属し、2年前に殉職したマイケル妻・レアについて、FBIはなんの釈明も謝罪もなかったことから、マイケルはFBI =国家に不信感を募らせていたのだ。

マイケルは、妻・レアの死に関わる事件について、学生たちに講義で話す。
妻・レアの死を嘆く気持ちが噴出し、マイケルは涙を流す。

(この国家へのマイケルの不信感も、結末のマイケルの立場に大きく響いてくる。)

その後もオリヴァーを疑い、オリヴァーの留守中に隣宅を物色するマイケル。

(客観的にはマイケルの行為は、もはや犯罪のプライバシーの侵害。
流石にやり過ぎの感は否めないが、テロの歴史を教える立場として、犯罪を未然に防ごう、自分のように家族を失う者を出さないためにも…という使命感は感じる。)

すると業を煮やしたオリヴァーがマイケルを尋ねる。

マイケルがオリヴァー(=フェニモア)が16歳の時に起こした事件を話すと、その途端、オリバーは怒りながら、詳細を話す。

政府が政策を変更し、水路を変えて他の畑に回し始めたため、フェニモアの父の牧場に水が回らず、牧場は廃業。
借金を抱えた父は、それを苦にして、死ぬことで、保険金で家族に与え、借金を返した。

しかし当時16歳のフェニモアは、政府のやりかたが気に入らず、報復をしようと考えた。
今思えば、若気の至りだった…。そう、オリヴァーは答える。

改名の件については、本物のオリヴァーとは幼馴染みで、25歳の時に事故死したから、フェニモアは彼の名前を引き継いで、オリヴァーとなったのだと言う。

若気の至りとはいえ、16歳の時に行なった犯罪で、その後も一生、ましてや息子たちまでもが白い目で見られるのが嫌だった、過去を隠すために改名をした…。とオリヴァーは答える。

洗いざらい白状したオリヴァーは、直接、自分に言え!陰でこそこそ調べるな!と言って去く。

(その剣幕の迫力、理路整然とした辻褄の合う答えに押されて)
オリヴァーが正直に答えたので、マイケルは反省し、彼への疑いを解く。

(しかし、私たち観客は思う。
冒頭のオリヴァーの子、ブラディの件と同様、整い過ぎた理由がかえって不自然だと…。このモヤモヤした疑いは「疑惑の影」や「裏窓」に似て、極めてヒッチコック的である。)

やがて、偶然にもマイケルの恋人ブルックは、隣人オリヴァーの不審な行動を目撃する。

オリバーと若い女性、そして宅配業者の怪しい取り引きのような行動を目撃したブルックは怖くなり、近くの公衆電話でマイケルの留守電に「オリバーが長いアルミの箱を宅配業者に託している」と吹き込む。

しかし、その直後、オリヴァーの妻シェリルが不自然にも現れて…。

(直接的な殺害行為は描かれない。
しかしシェリルを演じるジョーン・キューザックはコメディエンヌを得意としているため、残酷な行為とのギャップが生じる。「殺したくは無いのよ…」とでも言いたげな、かなり気まずいブルックとの対面は、とても怖い印象を残す。)

マイケルはテレビのニュースでブルックの交通事故死を知り、現場に駆けつける。
帰宅後、ブルックの死に落胆するマイケルには、なんとラング夫妻が付き添うのだ!

(なんと白々しい!ブルックの死の原因は、オリヴァーの妻、シェリルであるはずなのに、殺した相手の恋人を慰めるとは!)

精神的に弱っているマイケルには、オリヴァーたちの親切が身にしみる。
今までの非礼を、素直にオリヴァーへ詫びるマイケル。

(しかし彼の知らぬ所で起こったラング夫妻の不審な行動とブルックの死。
マイケル悲しみとは逆に、私たち見る者のラング夫妻への怒りと疑惑は急速に高まる。「おいおいマイケル、騙されるなよ!」と叫びたくたくなる。

この観客と主人公の相反する感情を逆手に取るサスペンス演出が「上手いな」と感心させられるシーンだ。監督の意図にまんまと乗せらせている自分に気づく。)

翌日、FBIのウィットの電話から、ブルックが死んだ夜、留守電に何もメッセージがなかったことを不思議に思うマイケル。

外には怪しげな電話線をいじる業者がおり、盗聴の危険性を感じたマイケルは携帯でウィットに連絡を取る。
他に自分宅に通話履歴がないか調べてくれと頼む。

(恋人のブルックが自分に何か告げようとして、留守電に残したメッセージが原因で殺されたのでは、と考えたのだ。
しかし、いくら知り合いとはいえ、一般人がFBI に捜査を依頼するなど、越権行為もいいところ。
マイケルの焦燥は、またしても行き過ぎなのだが、恋人を失い、追い詰められたマイケルに感情移入してしまう。)

またもやオリバーを疑い始めたマイケルだったが、講義の取材にセントルイス連邦ビル爆破事件の犯人・スコビーの父親を訪ねる。

スコビーがディスカバラーという、ボーイスカウトにも所属していたことを告げた父に、マイケルは食い付く。
それは息子を入れたボーイスカウトの名だったからだ。

その写真を見せてもらうと、ボーイスカウトの役員に、オリヴァーの顔があった。

(その写真でマイケルの講義と、現在進行形の事件が一致を見せ、私たちをゾッとさせる。
オリヴァーがセントルイス連邦ビル爆破事件に関与していた疑いがそこにある。
スコビーは、講義でのマイケルの推察通り、濡れ衣を着せられて死亡したのであり、真犯人がオリヴァーである可能性が濃厚になったのだ!)

そして、ボーイスカウトのサマー・キャンプに出掛けていた息子グラントが、オリヴァーに人質として取られたと想像したマイケル。

キャンプ場へ行き、グラントを引き取ろうとしたが、グラントは、すでに何者かが迎えに来て引き取られていた。

息子が行方不明になり、マイケルはショックを受ける。
その夜、隣家は大勢の人が集まり、パーティーが開かれていた。
隣家の敷地に入ったものの、マイケルはそのパーティー客全員が信用できない。

(恐らく、ここにいる客の全員が、テロリストの仲間なのだ!その四面楚歌の居心地の悪さと言ったら…。)

オリヴァーと会ったマイケルは、直接彼に疑問をぶつける。
オリヴァーはマイケルの疑問に対し、またしても正直に答える。

(優しき隣人ではなく、今度はテロリストの本性を剥き出しにして!オリヴァー役のティム・ロビンスは童顔で背が高い。
一見してその風貌は、知的で良い人の印象が強い。
その知性が、悪意のあるモノに変わったギャップとショックは大きい。彼の極端な振り幅にもゾッとさせられる。)

ブルックは邪魔をしたから殺した。
息子グラントは人質として預かっている。
ほんの数日、黙って「いいお隣さん」でいてくれれば、息子はきちんと帰す…と。

手のひらを返した、悪魔のささやき(脅迫)に、息子の安全を考え、マイケルはそのまますごすごと帰宅する。

しかし、息子の危機、そしてテロの危機に、このまま黙っている訳にも行かない。
マイケルはレンタカーを借り、早朝オリヴァー宅から気付かれないよう、こっそりと出かける。

ウイットから通話があったと聞いた公衆電話(ブルックが電話した場所)へ行くと、リバティー宅配便の配車センターが近くにあった。

グラントを人質に取られた昨夜、近所の車道にこの宅配車が止まっていたことを思い出したマイケル。
あのオリヴァー宅のパーティーの関係者が全てテロリストならば、このリバティー宅配便に、何かしら解決のヒントがあると推理する。

よく見ると、あの夜にパーティーへ参加していた者たちが、宅配便のドライバーとして働いていた。
アルミの箱をいくつも運び込む様子は、爆弾を詰めた箱のように見え、いかにも怪しい。

マイケルは、その宅配便の車を尾行し始める。
宅配のドライバーも、マイケルの尾行に気づく。
そして宅配便の貨物席の窓から、グラントを乗せているのを、マイケルに見せつけたのだった❗️

(この瞬間はさすがにゾッとする。これから起こるであろうテロの爆弾車に、息子が同乗して、すぐ目の前にいる危険の二重ショック。)

動揺がピークに達したマイケルは、我を忘れて宅配便を追いかけ始める。

(ここから怒涛の展開となるが、ここでジェフ・ブリッジスの演技力がサスペンスを盛り上げてゆく。
彼が最高の演技力を発揮するのは「フィアレス」や「スターマン」のような「何かに取り憑かれた男」を演じる時だと思っている。
彼の特徴である「遠くを見つめる瞳」は手元ではなく、いつも何かを先を見ている。
テロの爆弾を追い、何かに取り憑かれた姿は彼の真骨頂だ。)

追跡途中、マイケルの車と宅配便の間に、横からオリヴァーの車が入り込み、通行を阻害。
彼はマイケルを殴って車からひきずり出し、横にある建物に連れ込む。

「これは〝天の使命〟なんだ。奴らは罪を償うべきだ!」
この言葉で、マイケルはオリヴァーが間も無くテロを実行するのだと確信する。

「奴らがお前の女房を殺した。お前も復讐を果たせるぞ…。」
オリヴァーのその言葉で、マイケルは、彼らが狙っている国家権力の一端がFBI本部なのだと悟る。

(この時、わざわざオリヴァーがマイケルを車から引きずり出し、横の建物に連れ込んだのも、大きな伏線となる)

マイケルは急いで車に乗り、ウィットに電話をして「リバティー宅配便のバンが爆発物を載せて、FBI本部を狙っている」と通報。
マイケルも暴走しながら、FBIに急ぐ。

FBIの地下駐車場に入り込むリバティー宅配便の車を、マイケルが「あのバンに爆弾が積まれている!」と連呼する。

マイケルは警備員が制止を振り切り、閉められそうな門を突破して車で乗り込む。
ウィットは、騒ぐ人物がマイケルと見るや、狙撃を制止。

マイケルは車を止め、バンに近づきながら「爆弾があの車の中にある。みんなを避難させろ」と叫ぶ。

しかし宅配便の車に近づくと、ドライバーは先ほどとは違う人物。
トランクも空っぽ、息子グラントもいなければ、爆発物らしきものもない。

(ここでマイケルの息子グラントが、隣家のシェリルやブレディと合流し、博物館らしき場所に入って行く、無事な姿が映る。)

(普通なら、ここで爆弾がないこと、息子が別の場所に居ることから、マイケルが追跡して目立ったことで、テロリストは計画を変更し、爆破するのは別の場所になり、物語のクライマックスはさらに違う展開を見せる…と思ってしまう。

何故なら、悪人の計画を阻止し、息子を無事に助けるのがハリウッド映画の定石だからだ。
この映画は、その定石を残酷な形で壊してしまう❗️)

ウイットが宅配便の車を「この車は許可を得ている。ここで許可を得て無いのは、君だけだ。」とマイケルを諭す。
セキュリティは完璧だと言いたかったのだろうが、繰り返されるその言葉に、マイケルも私たち観客もハッと気がつく❗️

何故、わざわざオリヴァーがマイケルを車から引きずり出して、建物に連れ込んだのか…

嫌な予感がしつつ、マイケルは自分の乗っている車のトランクを開けた。
そこには、あの宅配便にあるはずの大量の爆発物が❗️

次の瞬間、爆弾は爆発し、マイケルやウィットは爆破に巻き込まれる…。

オリヴァーは遠くの高い建物から、FBI本部が吹き飛ぶ様子を見ていた…。

(これまでのハリウッド映画ならば、トリックは悪人を騙すために行われる。本来なら爆破によって死亡するのは悪人だ。
私も無意識のうちに、主人公マイケルがテロを阻止し、息子を助ける結末を想定していたが、定石を覆す、悪人の完全勝利に呆然となる。)

エピローグもゾッとする。
爆死したマイケルは、死んだ妻の復讐のためFBI 本部爆破テロに及んだのだと、マスコミに報道される。

FBI本部の爆破は大きく、建物の半分が崩壊し、死者は184名の大惨事。
犯人はマイケル・ファラデーの単独犯と報じられます。
マイケルの動機は妻・レアを殺されたことを逆恨みした結果とされた。

(マイケルが大学で講義した「セントルイス連邦ビル爆破事件」の犯人とされたスコビーと同じ立場となる伏線の回収❗️)

インタビューを受けた学生たちは…
「テロの手口に詳しかった」
「奥さんの死を思い出したのか、講義の最中に泣き出すことがあった」と
マイケルに不利な証言を並べる。

(私たち観客は、真犯人を知っている。スケープゴートはこのように作られ、真相を知らない人々は安心するのかというリアリティに薄ら寒くなる。
講義でマイケルが説いていた指摘そのままの形にマイケルが当てはめられてしまう。)

ひとりの女子大生は「マイケルは妻の死を憤っており、いつか焼きつくしてやると言っていた」と嘘の証言をする。

(アレ?この女性はオリヴァーといる所をブルックに見られた女性ではないか!大学の生徒として潜入し、マイケルを監視ていた?テロリストの周到な計画と役割分担。ココにもゾッとする)

FBIの事件はマイケルの仕業とされ、事件は解決した。
10歳の息子・グラントは親戚に引き取られていく。
(あまりに不憫である。それを平然と見送るのがラング夫妻!)

仕事を終えたオリヴァーらラング一家は、早くも次の土地(テロの作戦遂行)に行くことが決まっており、売り家の看板を出していた。

(「次は、安全な場所がいいわ…」と被害者面して呟く、妻シェリルの闇の深さよ。いや真っ当な生活したいという本心か?)

オリバーの隣家であるマイケルの家は犯罪の証拠として「立ち入り禁止」の黄色いテープが貼られたカットで映画は終わる。

鑑賞後には「一体どこからがテロリストの計画だったのだろうか?」という疑問が頭に渦巻く。

オリヴァーらによってマイケル・ファラデーは死亡した。
そしてその後のニュース映像によって「ファラデーは単独テロをする動機があった」と、テロ犯に仕立て上げるには、ピッタリの人材だったことが語られる。

ゆえに、オリヴァーは最初からマイケルを標的にしていたと思われる。

もしかしたら引っ越した先での生活で「マイケル・ファラデーという男が利用できそうだ」と気付いたのかもしれないが、犯行時のあの計算高さを考えると、オリヴァーは最初からマイケルを狙って引っ越したようにも思える。

犯行の計画力の高さから、オリヴァーが只者では無いことは明らかである。

実際にはオリヴァーが黒幕という描写が無く、「ただのテロ組織の一員」として捉えることも出来るが、もし最初からマイケルを利用する計画ならば、隣人を演じる役は重要であり、組織内でリーダーシップを取る役職であることは間違いない。

「ショッピングモールの図面」と言いながらFBI本部の図面をチラっと見させたのも、わざとあろう。

マイケルを上手く利用する為には、まず自分を疑わせないといけない。
その取っ掛かりがあの「偽のショッピングモール図面」だったはずだ。

そしてマイケルの恋人、ブルックも最初から殺す予定だったはずだ。

最後、マイケルがあれ程、冷静さを欠いた焦った追跡をしたのは「一人だったから」という事実も大きいはず。

そこにブルックがいたなら、間違いなくテロリストの犯行の邪魔になっていたし、何より「息子の誘拐」に関して、唯一助けることの出来る人間となる。

作中では「ブルックは俺たちの正体に気付いたから消した」という描写だったが、早かれ遅かれ息子の誘拐の前には、消されていただろう。

この映画が何を語るのか?
「テロリストの存在を暴いてハッピーエンドだろう」とタカを括っていたら、まさかのバッドエンド。

「衝撃的なラスト」とか「ドンデン返し」等の類ではあるが、それに加えて多岐にわたる伏線の回収があるのが、脚本として素晴らしい。

本作は、「ミスト」「セブン」「SAW」に並んで、バッドエンドの代表的な作品として語られることが多い。

しかし、決定的に違うのは、上記の作品が「追い詰められた時の人間の心の闇」の部分を見せるのに対して、人間の闇だけでなく「冤罪によって安心する大衆」という世論の闇、人心操作という社会の闇をも見せることにある。

邦題が秀逸だが、原題「アーリントン・ロード」に隠された闇も深い。
直訳すると「アーリントンの道」というより、「アーリントンへの道」だろう。

この映画では、テロリストの動機、なぜ破壊工作するのかという目的やその代償として国に何を要求するのか、理由は詳しくは描かれない。

そこが唯一の不満だが、恐らくそれもワザとなのだろう。
テロリストの思惑が原題に込められているのではないだろうか?

バージニア州アーリントンには、南北戦争の墓地、アーリントン国立墓地があり、アメリカ国防総省ペンタゴンがある。
国家の弔いと防衛の象徴があるのだ。

テロリストが目指す「アーリントンへの道」。
テロリストたちの最終目標を意味するような原題は、当時のパパブッシュによる湾岸戦争、クリントン政権での女性スキャンダルといった政治不信への象徴でもあるかのようだ。

911テロ以降、アメリカ映画は社会問題を物語の中に隠すのが、上手になった。

テロリストの深い表現は、911テロ以降、国民感情を負の方向へと揺さぶるからだ。

映画の中のテロリストは、単純な悪役として描かれ、深みのないことが多い。
テロリストが国を揺るがす計画を実行するために、知性と綿密な計画性を持っているのを描くことを避けるかのようだ。

今後、このような映画は作られないだろう。
悪人が勝つことで、この映画は嫌いだという人も多いはず。

この映画の脚本を褒めることは、テロリストの計画性を賞賛することに近い。

今後、このような悪が勝つ映画を作れば、いつか模倣犯を産む。

しかし、この映画は、あり得る話として、またマイケルのように国民全てが今そこにある危機を察知する意識を持たなくてはならないということをも訴えており、教訓とすべき話だ。

全ての人におススメ出来る映画ではない。
真っ当な社会生活を送りたい、平和というぬるま湯にずっと浸かっていたいと言う人には。

この映画はテロリストを魅惑的に描かなくなった契機となったエポックメーキングな作品だと、個人的には思っている。
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