アニマル泉

大人は判ってくれないのアニマル泉のレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
5.0
映画の申し子トリュフォーの長編処女作にして映画史に燦然と輝く神品。撮影直前に亡くなった父のように育ててくれたアンドレ・バザンに本作は捧げられている。
子供たちが素晴らしい。活きいきと愛おしくこれほど描けるのは驚嘆だ。子供を描くのが上手い監督は名監督である。小津、侯孝賢、キアロスタミたちだ。トリュフォーはその才能を処女作から一気に開花してみせた。冬のパリの街をアントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオ)が走る、アントワーヌと親友のルネ・ビジェー(パトリック・オーフェー)が肩を揺らしながら足速に歩く、アンリ・ドカエ撮影の全てのショットが至福に満ちている。子供たちも街も全てが息づいている。トリュフォーが素晴らしいのは子供を一人の人間として尊重していることだ。子供を大人扱いしている。だからみんな瑞々しい。わんばくな悪戯もおおらかで可笑しいのだ。ジャン・コンスタンタンの音楽も素晴らしい、子供たちを大らかに肯定している。遠心力機の場面が忘れがたい。何故かトリュフォーが大好きなムルナウの「サンライズ」の遊園地の場面を想起する。
トリュフォーは俯瞰の作家だが、大俯瞰で通りを先導する先生から次々に脱走する生徒たち、馬の剥製がいるルネの部屋の真俯瞰が印象的だ。ルネの部屋はメルヴィルの「恐るべき子供たち」を思い出す。この映画に心酔したトリュフォーが撮影のアンリ・ドカエに本作を同じように撮って欲しいとオファーしたそうだ。
夜のパリが艶めかしい。濡れた道路、眩いネオン。護送車で連行されるアントワーヌがパリの夜景を見て初めて泣く場面も忘れがたい。
トリュフォーの「火」の主題はこの後の作品で重要になるのだが、本作ではバルザックの祭壇の蝋燭から失火したボヤ騒ぎだ。
「階段」の主題も既に頻出している。タイプライターを盗む夜の階段、ヒッチコックが示しているように「階段」はサスペンスに直結する。アントワーヌが徘徊する深夜の噴水と階段も素晴らしい。凍った噴水を手で割って顔を洗うショットは忘れがたい愛おしいショットだ。そしてラスト、少年鑑別所を脱走したアントワーヌが走る!走る!撮影のドカエも走る!走る!カメラはアントワーヌを捉えて離さない、延々と並走する。神がかった移動ショットだ。どれだけ走っただろう?海岸の砂浜に出る。ここで階段が現れる。嬉しくなる。
ラストのアントワーヌのストップモーションのアップ。何か訴えたそうな不安でいっぱいのアップだ。少年のこれからを想うと見ている我々は絶望的にならざるおえない。ただアントワーヌの幸せを祈るばかりで、まさかこのあとの成長がシリーズ化されることなど夢にも思わない。さすが映画の申し子トリュフォーのしたたかさだ。
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