映画漬廃人伊波興一

大人は判ってくれないの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

大人は判ってくれない(1959年製作の映画)
4.2
大地がいくら揺れようが、観られた(時代)という揺れに波長を合わせていくように、微動だにしない映画もあります。 フランソワ・トリュフォー「大人は判ってくれない」


ある大病に見舞われた28年ほど前のちょうど今頃の初夏に初鑑賞。
病室のベッドでした。
DVDなどまだなく、病室にVHSのビデオデッキを持ち込んで。

おそらくは、その病院のベッドで横たわる患者さんたちが、それぞれ自分しか見てないと思って見上げている(雲)というものが、私たち一人一人に、何事にも代えられない時に流れや、そこから派生する運命と言うやつを、ごく自然に、すんなりと、真夏の石清水のように気持ちよく飲ませるように、ジャン=ピエール・レオ―が少年院から監視の隙に脱走して、野を越え、海へ、海へ。初めて見る大きな海辺で立ちつくし、ふとこちらを向いたまま動きを止めたシーンが我身に溶け込んできました。

長くなった日脚(ひあし)のことに思いを巡らせ、清遊した一夜を追懐するかの如く、雲と共に天空を漂うような想いでしたね。

観終えて、トイレに行くため、病室の壁を掌で触れながら歩いていると、小さなつむじ風が弱った体の中で「まだまだ、朽ち果てるわけにもいかんぞ」とでもいうような沸き上がる余韻。

今でも深夜、トイレに行くとき思い出すことがあります。

このデビュー作を含めたトリュフォーがまだまだ私の中で死んでいない所以です。