喜連川風連

耳をすませばの喜連川風連のレビュー・感想・評価

耳をすませば(1995年製作の映画)
4.5
平成狸合戦ぽんぽこのタヌキたちが住んでいた多摩を壊して、作り直した多摩ニュータウンが故郷の物語。

タヌキたちの日常を壊してまで、人間が手に入れた日常はどのようなものなのだろうか。
これが遺作となった近藤喜文監督によって丹念に描かれる。

日常と日常のシーケンスをつなぐ細かい演出が宮崎駿さんや高畑勲さんにはない近藤さん独特の感性だ。

お父さんが帰宅の際、団地の階段ですれ違いざまに住民に道を譲るシーンや、犬が塀越しに吠えるシーンなど、明らかに省いてもいいようなシーンの連続が物語にリズムとリアリズムを与え、この映画世界をかけがえのないものにしている。

セイジくんの家に行った際も、現在のアニメではないきめ細やかな演出が光る。

「ドア閉めて」と小声で言うセイジ。
家は見晴らしのいいところにある。
「高所恐怖症?」と聞くセイジ。
「んーんー高いところ好き」
と答える雫。

うおー!!なんて甘酸っぱいんだ!
この何気ない会話がとてもとても心地いい。

そして運命の歯車が回るときはひゅーっと人物の脇を風が吹き抜け、髪がふぁさっとたなびくのは、ジブリお決まりの演出。
(ジブリは風のアニメなのである)

最初は
天沢くんと呼んでいたのがせいじくんそして、せいじに変わっていくセリフにも細やかな心情変化が表現されている。

この映画の演出論を語れば、4万字の論文を書けてしまうほど、多くのものが詰まっている。

正直ジブリ映画で1番リアリズムが追求されていて、好きかもしれない。

この映画に憧れて、何度、聖蹟桜ヶ丘駅を歩いたことだろうか。

この映画と同じ年に生まれ、この映画とともにこれからも成長していきたい。
喜連川風連

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