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告発の行方のodyssのレビュー・感想・評価

告発の行方(1988年製作の映画)
3.0
【正論の限界】

BS録画にて。
レイプされた女性を女性検事補が支えつつ、直接的な加害者だけでなく、その場で教唆扇動した男たちをも告発するというお話です。

こういう映画って、論じにくいんですよね。
また、作品も、或る意味、作りにくい。
レイプが犯罪行為であることは自明で、しかしレイプは現実にはなかなかなくならない。他方、被害者が加害者を訴えて有罪に持っていくことも必ずしも容易ではないという現実もある。

だから、「レイプ=犯罪」である基本線はふまえた上で、二つの現実をどう作品に織り込んでいくかが、この種の映画の作りどころ、見どころであるはず。

その点で言うと、この映画は(やむを得ないこととはいえ)やや綺麗事過ぎる感じが残ります。

一番の難点は、ジョディ・フォスター演じる被害者の設定でしょう。
必ずしも知能が高くなくて(星占いを信じている)、職業的にも下層だし、むろん大学にも行っていない。その点でおそらく難易度の高い大学の法科大学院を出たのであろう女性検事補とは対極的な存在であるはず。
それは、単に職業や学歴の違いにはとどまらず、社会に対する見方の根本的な相違に行きつくはずなのです。

ところが被害者は、自分をレイプした男たちや教唆扇動した男たちを裁判で有罪にすることに関しては非常に「意識が高い」のです。この辺、作り物の臭いがするところなんですね。

もう一つの難点は、レイプを電話で警察に通報し、後で証人として(教唆扇動した男たちに対する)裁判に出る男子大学生。
どういうわけか、彼は出廷する前に、この事件でレイプ犯として刑務所にぶち込まれている仲間の大学生に面会に行く。そして証言をするつもりだということを打ち明けるのですが、当然ながら、そんなことをしてもらっては困ると言われてしまう。
この場面、非常に不自然ですね。自分の証言が仲間の大学生にとって不利になることは誰が考えても明らかで、それでも正義のために証言するというのであれば、あらかじめそのことを仲間に言う必要などないでしょう。これまた作り物の臭いが濃厚に漂う箇所です。

そして上で述べた一方の現実、つまりなぜかレイプはなかなかなくならないという現実は、この映画ではまったく顧みられていません。

この映画の設定では、被害者はむろん被害者だけれど、アルコールとクスリを体内に入れて酒場に行き、そこで男たちと話をしたりダンスをしたりして、その挙げ句、ということになっている。むろん本人としては意図的に誘惑したのではないわけですけど、そして途中で帰ると言い出すのですが(ここも、見ていて、どこか不自然です、率直なところ)、つまりこの進行は「ぎりぎりだけど、でも被害者には責任はないんですよ」と映画鑑賞者に分からせるための設定だろうと思う。そして映画だからその場面は映像ではっきりと鑑賞者に提示されるわけだけど、現実にこの種の事件で裁判になったら、むろんその場面が映画でのように再現されるはずもないし、検事側と弁護側の論戦はかなり微妙な線まで行きそうな気がしました。

私は率直なところ、ジョディ・フォスターは好きではありませんが、この映画での彼女は健闘していたと思うし、レイプ・シーンでも頑張っていました。しかし、レイプ・シーンに興味をそそるところがあるとするなら、それが単なる犯罪行為だからではなく、性というものの本質を示しているからではないでしょうか。むろん、この映画はそこまで考えて作られてはいません。見る側が考える必要があるのです。
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