カタパルトスープレックス

召使のカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

召使(1963年製作の映画)
5.0
凄まじい傑作。ジョセフ・ロージー監督と脚本家ハロルド・ピンターの初コラボ作品です。『下女』(1960年)とともに『パラサイト/半地下の家族』(2019年)のインスパイア元としても有名。撮影監督は「インディー・ジョーンズ」シリーズの撮影監督としても有名なダグラス・スローカム。相変わらず長文レビューですが、スポイラーなしでいきます👍

本作に奇跡的に集まったジョセフ・ロージー(監督)、ハロルド・ピンター(脚本家)とダグラス・スローカム(撮影監督)は紛れもなく大天才たちです。ただ、天才が集まっても傑作はできない。そこには奇跡的な化学反応が必要になります。その奇跡的な化学反応が起きたのが本作なんだと思います。ボクは映画の基本要素は1)テーマ、2)ストーリーと3)キャラクター造形の三つだと思っています。これに優れた+αで4)映画技法が加われば更によし。

1)テーマ
本作のテーマは「欲望:セクシュアリティ」だと思います。誰かを支配してしまいたい欲望。それがタイトルにもなっている『召使』にも表れています。ただ、欲望は表面には表れない。職業的な主従関係である「召使」も主人が召使を「支配」しているわけではないですから。本作では人間関係における「支配」も暗喩としてたくさん登場します。水道の蛇口とか。ホモセクシュアリティも示唆されています。

2)ストーリー
この映画の後半がカオスですごい。ハロルド・ピンターは不条理劇で有名なノーベル賞作家として上りつめますが、その作風のきっかけになったのが本作だと思います。ジャック・クレイトン監督『女が愛情に渇くとき』(1964年)とかポール・シュレイダー監督『迷宮のヴェニス』(1990年)とかピンター節が炸裂して観客を置いてきぼりにしますよね😹

しかし、本作の凄まじい後半はロビン・モーム(サマセット・モームの甥)の原作にもハロルド・ピンターの脚本にもなかったのだそうです。ジョセフ・ロージー監督がまだ不慣れなハロルド・ピンターに書き直しさせたのだそうです。「そうじゃねえだろ、わかりやすくしてんじゃねーよ」(と言ったかどうかはわかりませんが!)と。それで出来上がったのがこの気狂いじみた後半の展開。変えさせたロージーもすごいけど、ここまで変えたピンターもすごい!そう考えると、ジョセフ・ロージーがハロルド・ピンターの師匠筋に当たるんでしょうね。

3)キャラクター造形
なんと言っても主人トニー(ジェームズ・フォックス)と召使ヒューゴー(ダーク・ボガード)ですよ。この二人の関係性は徐々に変化していくのですが、関係性の変化とともにセクシュアリティの変化まで感じさせる。ダーク・ボガードは後にルキノ・ヴィスコンティ監督『ベニスに死す』(1971年)でシャネルが似合う美しき少年タージオ(ビョルン・アンドレセン)に恋をしますが、あれがヒューゴーの成れの果てなのか……と考えると感慨深いものがあります😹

4)映画技法
この映画の一番わかりやすい「凄み」は映画技法だと思います。特徴的なのが三つ。どことなくジョン・カサヴェテス監督に通じるものがあります。こちらのほうが先ですが。

A)ハンディカメラによる長回し
B)極端なクロースアップの多用
C)照明を使った効果的な陰影の転換

特にA)長回しとB)クロースアップは効果的に組み合わせで使われます。クロースアップからスタートして、移動しながら別のクロースアップ、さらに移動。長回しで関係性の変化が生じ、クロースアップで関係性がどのようなものなのかを説明する。一番わかりやすいのが主人トニーを誘惑するメイドのヴェラ(サラ・マイルズ)の流れでしょう。モンタージュではなく長回しでやる。そして、長回しが途中で止まった後の構図がビシ!ビシ!と決まるんですよ。ダグラス・スローカムはすでにベテランの域に入りつつある撮影監督でしたが、本作は彼の仕事の中でも特筆されるべき仕事だと思います。