海

トウキョウソナタの海のレビュー・感想・評価

トウキョウソナタ(2008年製作の映画)
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せかいがうるさいから、静かな部屋でねむりたいと思う。せかいが残酷だから、やさしい音楽をきいていたいと思う。昨日までの自分すべてに意味がなく、明日からの未来に何の価値もない気がして泣きながら歩いたあの道や、なくしたんだ今、と気がついたときにはもうすごく遠くにいた背中をみつめていたあの夜のことを、ずっと忘れないだろうし、昼下がりの頭痛や晴れた日の不安とおなじように心地悪くて、だけど過ぎたぶんだけ熱くもなくなっていく、そんなふうにおぼえているんだろう。何もなかった部屋に、少しずつ荷物が増えていった。あんなに悲しかった心が、安らかに温い。私の記憶が、私の過去が、こんなにはっきりとみえて、喪失も痛みも傷も、かならず再生する。誰といて、どんなことがあって、なくして、なくさないために手放したものもあって、退屈で、幸せで、夢中で、駆けて、夜がきてはぐれて、いつも、切ない。なにかをつくりだすために、芸術をわかりたいとずっと思ってきたけど、芸術に敬意をはらうために、つくりだせるひとでいたいと今は思う。ほんとうに心から。昨日の夜、わたしのからだで暖をとって眠るねこたちを見ていると、突然涙が出て、しばらくそのまま泣きつづけた。小さい頃、よくこんなふうに泣いた。寝ているとき急に大きな地震が起きたらどうしようとか、家が火事になったらどうしよう、悪い人が入ってきたら、町に爆弾を落とされたらどうしようと考えて泣いて、泣き疲れていつのまにか眠って、また朝がきていた。映画やアニメや本で見る怖いことのほとんどが怖かった。こういうことが起きたとき自分が守る側じゃなく守られる側であることがなによりも怖かった。「俺たちってゆっくり沈んでいく船みたいだな」「やりなさいよピアノ。」「アメリカに行って僕はアメリカだけが正しいわけじゃないことを知りました。」こうして人の声を聞いて、人の顔を見て、人の物語にふれながら今わたしは、子どもたちのために、見知らぬ人のために、大事なそのひとのために、そして自分のために、何ができるだろうどんなかたちであれるだろうと、答えなど出なくても、答えが出るまでずっと考え続けるべきなんだと思った。人を守ることは光りだ。だけどそのために誰かを苛むことは色だ。愛することは光りだ。だけどそのためにあなたを縛りつけることは色だ。重なっても重なっても、それでありつづけるためにわたしたちは光りでいられたらいいのに。泣くたびに何かが変わっている気がして、去年枯れた花がまたふくらむ。何年後も何十年後も帰ってきて。ひかりよひかりであれ。
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