北野武監督作品、第11作目、勝新太郎の『座頭市』シリーズ(大映)のリブート作品であり、脚本も北野武が担当。自身始めての、時代劇であり、娯楽的要素も強い作品。
欠点だけ先に書くと、子役の早乙女太一の舞が素晴らし過ぎて、大人の橘大五郎のそれと、リンクしない事と、祭りのタップダンスが唐突過ぎる、スタジオ過ぎる事の二点のみ。
あとは、褒め称えたいところばかりである🎵
『座頭市』(2003)
まず、殺陣が切れ味、鋭い
ビートたけし(座頭市)
浅野忠信
國本鐘建
それぞれの剣豪が魅力的。それぞれが社会に於て、アウトサイダーである。
この三人が、映画の縦の糸。(動的、黒澤明的)
浅野忠信と夏川結衣の浪人夫婦、そして、大家由裕子と橘大五郎の流れの芸妓
姉弟の二組の愛と絆が描かれる。彼らも同じく、社会から疎外されたアウトサイダーである。この二組が、映画の横の糸。(静的、溝口健二的)
同時に、娯楽的要素として、『必殺仕事人』シリーズの殺し屋みたいな、女仕事人と、撮影の妙味がある。
そして、東宝と大映と東映オマージュするみたいな離れ技。
静的な部分に於ては、ロングテイクによる、吉原遊郭の夜間撮影が印象的である。格子越しに、撮される遊女たち。華やかなその画面には同時として、アウトサイダーとしての彼女たちの辛さも、読み取れる。
葛飾応為 (かつしか おうい)の
浮世絵、『吉原格子先之図』を彷彿ともさせるそのロングテイク撮影の見事さ、
その切り取り方は、溝口健二をも嫉妬させそうである。
動的な部分、暴力的部分に於ては、全ては黒澤明オマージュに繋がっている。
宿場町に巣くうヤクザの群れは『用心棒』であり、雨の中の激しい乱闘は、『七人の侍』であり、座頭市・ビートたけしと浅野忠信のラストの居合い抜きは『椿三十郎』を連想させて、また、その画面の持つ迫力は、黒澤明に双肩する。
映画的には、縦糸、横糸のアウトサイダーたちが、本物のヤクザ、アウトロー多数を成敗するのだから、爽快である。
同時にアウトロー社会も複雑で、本当に悪い奴は誰か、など興味深い。『悪い奴ほどよく眠る』
雨音を聞いても、社会のインサイダーである農民たちは、豊穣の薫りを聞き付ける。アウトサイダーである、芸妓姉弟は哀しみの過去を思い出し(この辺りの、北野武の描写は、詩的で素晴らしい)、座頭市は凄まじい殺陣の記憶を思い出す。
即ち、同じ雨音でも、境遇によっては、全く違うものに聞こえる、現実の厳しさと奇妙さを描いている。
また、労働の音から、音楽を妄想するところは、ラース・フォン・トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(2000)
と合い通じていて、感覚が凄い。
尚、本作の座頭市は、金髪碧眼だったので、アルビノ或いは、外国人の設定だったのかも。この辺りも深くて、タケちゃんは地球人離れしているよ~
オイラ🐱 その才能に脱帽だよ~🌠
余談、大家由裕子の寂しげな瞳と、夏川結衣の武士の妻らしい潔さ、そして、大楠道代たん👩✨の素っぴんに、萌えた😻🎵
2022年鑑賞 170本目