マーク

タクシードライバーのマークのネタバレレビュー・内容・結末

タクシードライバー(1976年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

この映画が作られた頃のアメリカの価値観を知らずしてこの映画の解釈に言及するのは危険なのではないかと思う。

ともかく彼は自分を「孤独」だと思っているが、それは世間ずれした自分を無意識に自覚して自ら距離を置いているためで、生活スタイルとして彼ほどの孤独さで以て生活している人は結構居る筈だ。
彼は自分のそのズレを「自分がまともで周りがおかしい」と信じる(ズレていることへの許容、自己肯定)ことで合理化しているので、弱音を吐かない。
一方で女に対しては「(その女の)周りの男を扱き下ろす」ことで信頼を得ようとする。一旦女達を(自分を嘲笑するであろう)男達から引き離した上で自分の精神的支配下に置きたいのだ(承認欲求)。
立場が上の者に対しては明るくスマートに振る舞おうとする。

「自分がズレている側である」ことに無自覚で社会にうまく溶け込めないことへの無自覚の苦悩とコンプレックスが痛々しいほど見事に描かれていて、映画というよりドキュメンタリーを観ているようだった。
そこに何を見て何を感じるべきかの正解さえ用意されていないような。

正義の簑を着た動機不充分の殺人について、新聞は彼をヒーローのように書き立て、少女の親からは感謝状を貰っている。

何が恐ろしいかと云えば、彼がそのスクラップや手紙を部屋の壁に掲示し、以前と変わらない姿でタクシーを運転していることだろう。

しかしこれはこの時代のアメリカを考えれば、あり得なくはないことなのかも知れない。映画の中盤で彼が、常連のドラッグストアに来た強盗を有無を言わさず瞬殺したことがあったが、店主はそれを咎めるどころか、「後は俺に任せろ」と言ってトラヴィスを逃がした。否、逃がしたのではなかった。店主はほぼ死んでいる強盗に対し、過去強盗に入られた怨みも日頃の苛立ちも全てぶつけるが如く、棒で以て何度も殴り始めたのだった。

苛立ちの矛先を誰もが探している、そういう時代だったのかもしれない。
だから正義と悪の両極的な価値観が生まれ、悪を叩くことでガス抜きをしていたのだ。
しかしその価値観は不変ではない。
トラヴィスはヒーローだと思う人が、現代にはどれくらい居るだろうか?
マーク

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