ケタミン

タクシードライバーのケタミンのネタバレレビュー・内容・結末

タクシードライバー(1976年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

アメリカだ。めちゃくちゃアメリカ的な映画。
ひどく単純な物言いだとは思うけど、アメリカってヨーロッパなんかと比べると、深みがないじゃん? 伝統の重みがなくプラグマティックで欲望に忠実。この映画の主人公トラヴィスも、惚れた女を初デートでポルノ映画に連れてっちゃったり、売春少女にうわべだけの倫理で説教したり、鏡の前で銃をかまえて悦に入ったり、浅はかで痛いやつ。
でもこの映画がすごいのは、そういった薄っぺらな行動を重ねてどんどん過激になっていった末に、「生きること/死ぬことの実感」という、実存のとてつもない深みにまで到達したこと。それも観念的にではなく、アメリカ的にとことんフィジカルな表現で。
とどのつまり物事の深みとは、薄っぺらな層が幾重にも積み重なってできているに過ぎないんじゃないだろうか。たとえばコンピュータは0と1の二進法が基本原理だが、その累積が人間の知能を超えてしまう、というように。

トラヴィスが徐々に狂気を育てていった果てに取った行動とその結果を描く戦慄のクライマックスは、圧倒的なカタルシスをもたらす映画史上屈指の名シーンだと思う。ここでのカメラワーク、醒めた演出、テーマ曲の劇的なアレンジ、すべてが息をのむほどすばらしい。
作品全体の雰囲気はバーナード・ハーマンのジャジーで甘美な音楽によって統一され、陶酔感を誘う街並の色彩の美とも相まって、この作品を名作たらしめている。当時13歳だったジョディ・フォスターの堂に入った役者ぶりに舌を巻き、ちょい役で登場する監督マーティン・スコセッシの偏執的な演技に身震いし、武器商人の「いかにも」なセールストークには笑った。エンドロール直前の一瞬のカメラワークと効果音も、トラヴィスの終わらない狂気を小粋に示唆してエンディングの深い余韻に寄与している。こういった何気ないところで小技が効いてるのもクールだ。

名優ロバート・デ・ニーロと名匠マーティン・スコセッシ、ふたりの若き日の化学反応が生み出した衝撃作。40数年前の公開時はたいへんな話題を呼び、カンヌでパルムドールに輝いたが、いま観てもこの映画の問題提議は古びていない。
主人公はヴェトナム帰還兵という設定だが、彼が引き起こした惨劇は、享楽に満ちた都会の日常も、疎外感を抱えた社会的弱者にとっては生きるか死ぬかの戦場と変わらないという事実を突きつける。そういえば蒸気の中からタクシーが現れ出る冒頭のカットからして、夜の都会と戦場を重ね合わせる演出意図があった、と今更ながら気づいた。
この映画は、トラウマに苦しむ主人公が自己の救済に成功するという夢のような結末で幕を閉じるが、それはたまたま運良く結果的にそうなっただけであって、似たような構図なのに当然ながらそのような結末にはならなかった事件が、実際にアメリカでもヨーロッパでも日本でもたびたび起きている。この作品のテーマがいかに普遍的であるかを物語っていると思う。
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