社会になじめないと感じると、人は社会を支配したくなる。演説を眺めるトラヴィスの表情はそれを如実に物語っていた。
この男はいわゆる拗らせた童貞くんだ。
ただ、こじらせすぎて共感性が全くない。意中の女性とのデート先の短絡的なチョイスや、花の送りつけ方。浮世離れが尋常ではない。
内向からくる自閉症状が進みすぎると、現実が妄想で埋め尽くされる。相手の感情もコミュニケーションで汲み取るのではなく、希望的観測に基づくストーリーで決めてしまう。
予想に反すると被害感情でいっぱいになり怒る。
この気持ち、全く分かりたくはない。
でもそこそこ分かる…
まぁそれはいいとしてなんだろう…
この映画、感情をどこに持っていったらいいのか分からない。というモヤモヤが残る。
「煮るなり焼くなり好きにしろ」といったら、レンチンされた気分というか。
ラストの解釈は分かれるところだと思うし、それはとても好き。ただ…カタルシスを得るのか、カタルシスを得させないのかどっちかにしてほしい。
ロッセリーニの映画やイラン映画のような、無情感がある訳でもなく、かと言って胸のつかえが取れる訳でもない。
彼のさみしさからくる逆ギレ感情に共感できる分、生煮えの気分になる。
この映画のモヒカン・デ・ニーロは、今だにポスターが売られていたり、Tシャツのデザインになっていたりと人気がある。
ただ、パッケージのカッコよさに比べて作中のモヒカン男は中途半端だ。
そこがリアルなのかもしれないが、だとしたら潔くもっとカッコ悪くしてほしい。
あと、彼の部屋や街をもっと丁寧に描いてほしかったな。トラビスの一人称で描いているのだから、世界にはもっと鬱屈した感情がまとわりついているはず。
ロバート・デニーロの表情の演技頼りになっていて、空間造形が雑に見えてしまったのが残念。僕の感受性が弱いだけかもしれないけど。
【ネタバレ】
大統領候補を殺そうとして失敗した後、すぐにアイリスの売春宿に行くという流れはすごくいいなと思った。要は誰でも良いわけだ。自分の中のやけっぱちな正義を行使できる対象なら。
ラストの解釈を残しているところもいい。
偽の正義が英雄になってしまう皮肉ととればベトナム戦争との文脈にもマッチするし、妄想ととれば『バッファロー66』的な文脈とも取れる。
解釈をぼかした分、ヴィンセント・ギャロほどカッコいいクライマックスにはできず、中途半端になったと考えれば、モヒカンデニーロの煮え切らなさも納得なのかもしれない。
この2重に取れる描き方はとても好き。
この映画、大昔友達に勧められて見た時もうーんと思った記憶がある。やっぱり今回もうーんが残った。