むぅ

暗殺のオペラのむぅのレビュー・感想・評価

暗殺のオペラ(1970年製作の映画)
4.2
「自信がないのは一緒なんだね」

大学の同期と話していた。
彼女はしっかり情報量のある、それなのに理路整然とした良いレビューを書く。あちこち話が飛び、もはや日記になっている私とは正反対である。読むたび羨ましい。
でもお互いカメラワークや構図といった技法には触れないという共通点がある。
話題はそのことに及んだ。

「いや凄いカメラワークだなって自分では思っても、果たしてそのセンスが正しいのかわからんし。だから事実として確定されてる事を書いてる」
「わかるー。私は、それあなたの感想ですよね?って言われても、はいそうですけどそれが何か?って言える事を書いてる」
「「ねー」」
ハモった。

自信がなくても、よくわからなくても、レビュー毎に自分なりにそこに言及してきたら、この映画をもっともっと魅力的に語れたであろう、と思った作品。

凄いのだ。
構図が、カメラワークが。


ムッソリーニによるファシズム政権下の1936年
1人の抵抗運動の闘士が暗殺された。彼は死後、町の伝説的英雄として語り継がれる存在に。
事件から20数年後、息子のアトスは今なお多くの謎に包まれた父親の死の真相にたどり着くことは出来るのか。


こちらの箸の入れ方まで計算されつくされた美しい料理が出てきたような感動を覚える。

アトスが抱く不信感や猜疑心をその構図で描き、織り込まれる父を取り巻く環境をカメラワークで魅せる。そして美しい風景や目を惹く美術や小物と打って変わり、人々の表情は常に暗い。
目が離せない。


演劇部だった私達が、まだ初々しい新1年生だった頃。
先輩達に連れられ芝居を観に行った。その劇団を好きだという先輩と、今回の芝居はどうなんだという先輩の間で激論が交わされた新宿の帰り道。
彼女は好きなものを守るためには、時に理論武装が必要だと学んだという。
一方、私はその芝居に私達とは別に来ていた先輩が彼女を連れていて、そこ付き合ってんだ!ショック!という記憶しかない。
その辺の思考回路は互いに現在進行形のようで。
『鎌倉殿の13人』が面白いので2人で鎌倉散歩をしていたのだが、北条義時に扮する小栗旬の等身大パネルを見つけ、写真を撮った。
彼女はパネルの肩に偉そうに手をかけ「鎌倉殿気分」
私は「わーい!小栗旬とツーショット!」

その辺の差が両者レビューに如実に表れている。

そしてお互い自信のない事に関しては安易に口にしないのは、公演を打つたびに目の前で繰り広げられた激論の数々がトラウマになっているのではないか、という考えに至った。


そんな激論が許されなかったであろうファシズム政権下。
父はどこへ向かおうとしていたのか。
そこに確固たる自信はあったのか。
むぅ

むぅ