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セーラー服と機関銃のMASHのレビュー・感想・評価

セーラー服と機関銃(1981年製作の映画)
4.5
女子高生がヤクザの組長になるという奇想天外な設定と強烈なタイトル。だがそれ以上に奇抜な撮り方や演出、役者陣の演技。その全てが揃ったとき、不思議とふと切なくなるような少女の成長物語が出来上がったのだ。『セーラー服と機関銃』なんて題名の映画でこんな気持ちにさせられるとは誰が思うだろうか。

相米慎二監督の有名な長回し。演劇タイプの映画なのかなと思っていたが、むしろ真逆でどこまでも映画的。ただの会話をただ長回しで撮るのではなく、横や縦に動いていたりズームインしたりズームアウトしたり。固定していたとしても、なぜかものすごく遠くから望遠で撮っていたりと、とにかく普通ではない。「どうやって撮ったのだろう」「なぜこんな風に撮ったんだろう」という興味が湧いてくる。また、音の強調の仕方もそうだ。最初の火葬場でのシーンで飛行機の音が聞こえたり、最後ら辺でチンドン屋の音が聞こえたり。映像も音響も登場人物の感情に無理矢理フィットさせに来ているようだ。

だが撮り方以上に不思議だと感じたのが映画のトーンだ。ドリフみたいなコントが始まったかと思いきや、いきなり人が殺されたりする残酷なシーンにワンカットで切り替わる。薬師丸ひろ子の純真さを見せたかと思えば、その彼女をとんでもない目に遭わす。昭和アニメの敵みたいなヤクザ登場すると、それが三國連太郎だったりする。そういう急激な切り替え一つ一つは変なのだが、全体を俯瞰した時に一つの物語のなかで機能していることが分かるのだ。

そしてこの映画のメインである主演の薬師丸ひろ子と渡瀬恒彦。薬師丸ひろ子はキラキラし過ぎていない見た目ながら少女漫画から出てきたような大袈裟な演技、それに対し渡瀬恒彦は渋くちゃんとしたヤクザ映画のような演技をしている。物語全体は主人公の性を強調していくように進んでいくが、二人の関係そのものにそういったものを匂わせない。二つの相反するものが歪にぶつかり合うからこそ、より彼女の少女から大人へ変わろうとする瞬間を感じられるのだ。

実験映画的側面が強い作品だが、最後まで観るとどこかジブリ作品を観た後のような気持ちになる。不思議な出来事の中で少女が大人になっていく様子を描き、それが終わってしまうとどこか切ない雰囲気に包まれる。ただ、ラストの彼女がセーラー服に赤いピンヒールを履きながら街を歩く姿からは、少女として過ごすべき時間の中で愛する人の死という残酷な経験をしてしまったという、普通の成長物語とはまた違う側面を感じるのだ。奇抜さな設定が受けたというのもあるだろうが、そこから一歩引いて観たときに観客の芯に訴えかけるものがある。だからこそ今でも残り続けている映画になったのではないだろうか。
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