ローズバッド

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?のローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

「選択による、その後の変化」を見せるのが、ドラマ枠「ifもしも」の企画の本筋であった。
「ありえたかもしれない人生」を想定してみる、SF的なエンタメ番組である。

その中の、岩井俊二監督作『打ち上げ花火、…』は話題となり、劇場公開まで至る。
監督は番組コンセプトから、わざと大きく逸脱し「選択」が主題ではない物語を書いた。
そして、ほとんど文芸作品のようなドラマに仕立てた。
少年期の淡いエロスを描く小品になっており、その憧憬に、視聴者の共感が集まったのだろう。
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あこがれのお姉さん先生のおっぱいを「揉んだぜ!」
「お前、まだムケてねぇじゃねえかよ!」
プールサイドに寝そべるナズナ、蟻が鎖骨を這う。「取ってよ…」
股間がむずむずして真っすぐ歩けないノリミチ。
「ナズナ、どうしたんだろ?生理かな?」

序盤から男子小学生たちの、あどけない「性への興味」が何度も描かれる。

それに対し、Jリーグ、スラムダンク、スーパーファミコンなど「男子の遊び」も繰り返し登場する。
(ノリミチの父親も、男の趣味、釣具屋である。)

女子と交際することより、男同士の遊びのほうが、ずっと大事で楽しい。
「エッチなこと」へのぼんやりとしたイメージしか、まだ持っていない。
男子たちの、少年期から思春期へと変わる、ほんの短い期間が、瑞々しく描かれている。
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いっぽう女子のナズナは、恋や愛のままならなさを、両親の離婚からすでに学んでいる。
自分の血筋、女としての性(さが)を自覚しており、そこから、男をもてあそぶ手練手管さえ自然と身につけている。

当時13才、奥菜恵の大人びた美しさ無しには、この作品は成立し得ない。
清純な美少女性と、淫靡な悪女性が同居している。

奥菜恵は、数年後には日本の美女アイコンのひとりとなる。
その後のスキャンダルから、“魔性の女”とも呼ばれるようになり、2度の離婚と3度の結婚をし、2児の母として現在に至る。
(アニメ版のナズナの母親の設定は、奥菜恵を元にしているようだ)
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夜のプールへ忍び込み、ナズナは「なんか恐いよ。」と言いながらも、ワンピースのまま、暗い水の中に頭まで入っていく。
「入水」つまり、一度、擬似的な死を迎える事で、新たな自分になろうとする、淫らな美しさ。
エロス(性)とタナトス(死)が、重ねあわされた映像表現。
性を題材にした作品において、お手本のような見事な演出である。

ナズナは、ふとノリミチを見つめ「今度会えるの2学期だね、楽しみだね。」と言い、離れていく。
もちろんこれは、ナズナの叶わない希望であり、儚いウソである。

ノリミチは、ナズナが転校してしまう事を知らない。
ノリミチが違う選択をしても、ナズナの転校を止められるわけではない。
ナズナを母親の抑圧から救うことも出来ない。
小学生にできることは、ほんの少しの時間、となりに寄り添ってあげる事だけだった。

ラストシーン、花火を真下から見上げるノリミチ。
まだ無力な少年の淡い恋が、一発の花火と共に散っていく。
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あざとくならないように、脚本と演出が注意深く練られている。

たった50分の短編に少年たちの放尿シーンが2度もある。
ノリミチの小便は、放尿にしか使われない少年のオチンチン(小便小僧のような)=未成熟を暗喩している。
皆で揃っての立ち小便は、もちろん友情の絆の象徴である。


「家出じゃないわよ…、駆け落ち。」と話すナズナ。
「女の子はどこでも働けるの、夜の商売とか。」とワンピースに着替え、口紅を差す。
しかし、電車に乗ることはない。
もともとそんな気はなかったかのように「電車?何のこと?」と、ぷいと引き返す。
ここで、ナズナの言動の変化の理由をまったく描かない、一見不思議な演出が素晴らしい。

まだ“線路”という“一線を越える”ことが出来ない年齢だと、ナズナは最初から解っているのだ。
子供たちのほのかな恋愛は、どこにも終着することはない。

これに対し、終盤、先生が恋人を連れて再び登場する。
花火師は「結婚を祝して!」と花火を打ち上げる。
この大人たちの恋愛は、結婚という形にたどり着くようだ。

このように、子供と大人の恋愛の対比構造を、物語の本筋に沿う形で作り出している点も非常に上手い。
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一点だけ不満足な演出がある。
夜のプールへ「入水」したナズナ、そのワンピースの赤いスカート部分が、水面に広がるようにしてほしかった。
そうすれば、暗い水面に血のような赤色が広がる「死のイメージ」を、もっと鮮烈にエロティックに強調できたはずだ。
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誰もいない我が家への「ただいま、おかえり」の繰り返し。
これは「夜のプールに忍び込む」という共通点がある、相米慎二監督『台風クラブ』へのオマージュだろう。
早熟な中学生・工藤夕貴たちの「性への興味」が重要な作品であり、工藤夕貴の出世作となる。
岩井俊二監督は、間違いなく多大な影響を受けているのだろう。