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過去のない男のnetfilmsのレビュー・感想・評価

過去のない男(2002年製作の映画)
4.1
 男は物憂げな表情でゆっくりとタバコに火をつける。客車は小刻みに揺れながら、車窓の景色は少しずつ姿を変えて行く。車掌が切符切りにやって来ると、男は最後尾の座席にどかっと座り込む。あてどない旅の終着点には、暖を取るような温かなホテルなどない。行き当たりばったりの旅だったのか、男はベンチに腰掛けると次第に睡魔が訪れるのだ。だがこれまでのカウリスマキ作品同様に、定石通りに眠りこけた男には思わぬ悲劇が待ち構えている。身ぐるみを剥がされ、大事にしていた荷物も全財産も奪われ、それでも暴力を辞めない男たちは気絶した初老の男の頭をこれでもかと殴りつけるのだ。翌朝、男の姿は病院のベッドの上にあった。脈拍が今にも途切れそうで、医者が匙投げた男の身体はしかし、海岸に身投げせんばかりに倒れていた。ボロボロの服装にぐるぐる巻きの包帯姿で男は、近くのコンテナで暮らす貧乏一家に救い出される。だが男は自分の名前はおろか、これまでの全ての記憶さえも失っていた。

 21世紀のカウリスマキ1発目はさながら、これまでの作品の総決算のように燦然と輝く。過去の全てを失った男を、貧しい街の人たちはみな温かく、受け入れてくれる。カウリスマキの弱者への優しい視点は健在で、欲深き悪徳警官さえも彼に味方する。男の人生は過去には進まず、もっぱら前に向かうのだから、別に記憶を取り戻し、過去など思い出す必要もないのだ。そんなある日、金曜日の炊き出しの場で男は下士官の女性イルマ(カティ・オウティネン)に恋をする。決して見栄えの良くない中年の恋はゆっくりと静かに燃え上がる。独り身のイルマは最初は男の身なりを小綺麗にし、粗末で狭いコンテナの中で、不器用な男の料理を健気に平らげる。夜道を家まで送った男は申し訳程度に頬にキスをする。慎ましい中年の恋模様が淡々とした世界の中で描かれる。一方で男の記憶を呼び覚ますかのように、記憶の断片は鈍いままに語りかける。ゴツゴツした手から力仕事をしていたようだという友人の読みを裏付けるかのように、溶接の炎と匂いが彼に労働者としての誇りを呼び戻す。銀行強盗のくだりはやや強引にも見えるが、人はみな随分あっさりと罪を犯してしまうのだ。

 相変わらず一歩外に出ると行政は杓子定規で民衆の手助けにはならないし、罪人をしょっ引いても決して奪われた金は戻らない。だが生きていればいつかは報われるというカウリスマキ流の人生賛歌は多少老獪さを増し、依然として鈍い輝きを放つ。
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