垂直落下式サミング

ルームメイトの垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

ルームメイト(1992年製作の映画)
4.3
ふたりの少女が洗面所で同じ化粧をする意味深なオープニングから、マンションの一室で愛を語らう仲睦まじい男女の夜へとフォーカスしていくのだが、留守番電話から元妻との浮気がバレた男は彼女に締め出されてしまう。
浮気をされたアリーは彼氏のサムから何度も寄りを戻そうと連絡をされるが拒否し、彼を忘れるために気の合うルームメイトの女性ヘドラと新生活を始めることにする。はじめは内気なヘドラとの生活を満喫していたアリーだったが、根負けする形で彼女はサムと寄りを戻すことを呆気なく承諾。そして、この生活を守ろうとするヘドラの異常性が徐々に露になり、彼女はアリーに様々なスピリチュアル・アタックを仕掛けていくのである。
テーマとして一貫されるのは、人ひとりを自分の思うようにコントロールしたい、好きな人のようになりたい、いつかその人の影になり変わりたいと、誰もが心のどこかに隠し持っている支配欲であり、「誰かを独り占めすること」その愚かさ、無意味さ、傲慢さをサスペンススリラーとして成立させていた。
女の子がひとつ屋根の下ふたりで暮らしているのを見せ付けられると、あぁこんなもん異性となんて暮らせないな、百合は奇跡であり百合が正義だノンケは死ねと、思考がストロベリーパニックをおこしてしまう。
浮気性男をすんなり受け入れてしまうダメな女と、行動派クレイジーサイコレズは何ともいいカップルであった。序盤の女子二人のショッピングや家デート、並んでアイスクリームを食べる場面なんかは、あと五時間はみていたい。神様どうか二人のこの関係を壊さないでくれ。
この物語のなかでは、ヘドラだけがただ一人だけを愛し、求め、欲しているように感じた。アリーの受難の原因は、恋人も大事、友達も大事、ご近所付き合いも大事、世間体も大事、そして自分の心も大事と、傲慢にも多くを求め複数人を愛そうとしたことによって生じた綻びである。皆にとって良い人であろうとした女は不幸を引き寄せ、ただ一人の親友に純愛を向ける女の心は狂っていくという矛盾。これは、我々が普段人に向けている好意や善意というものが、時として害意にとなり人を傷付けるということであり、好いたり嫌ったりが如何に身勝手でばかばかしいものであるかをよく描いていたように思う。