カリカリ亭ガリガリ

監督・ばんざい!のカリカリ亭ガリガリのレビュー・感想・評価

監督・ばんざい!(2007年製作の映画)
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『TAKESHI'S』に続く"自己言及三部作"の2作目であり、前作で「役者・北野武を壊す」を遂行して、今作では「映画監督・北野武のキャリアを壊す」を試みている。
次々と「映画」たちが創造されては殺されていく。映画を殺した後、タケシくん人形として監督も自殺を繰り返す。映画監督とは、映画を生み出す特権を付与された職業であると同時に、映画の息の根を止めることも容易く完遂できる人物であることが明示されていく。北野武の自殺願望が『TAKESHI'S』同様、所々に散見されていくが、本作では"映画監督・北野武"をより一層クローズアップしていることから「北野武という映画監督の自殺」を目指している。

公開当時、松本人志の『大日本人』と公開時期が被り、メディア及びカンヌでもお笑い芸人対決みたいな取り上げられ方がされていたけれど、そういった土俵で格闘させる映画ではなかった。
「北野武はもうダメだ」と観客から飽きられたいという願望は、誰よりも北野武が"映画監督として"観客や評論家の存在を気にしていることに他ならない。日本ではヒットせず、海外で評価され続けた北野武のアンビバレンスは、松本人志のそれとは違い、無垢なまでに本心だと思う。一度でいいから全方位から蔑まされたい、諦められたいという願望は、松本人志の作品が持つマゾ的な粘着性、つまりはかまってちゃんとは異なり、北野武は本当に"死"に値する映画を撮って"死んでしまいたかった"のだろう。
SNSのネチズムに引っ張られ過ぎた松本人志の「楽しめないのはお前らのせい」という裸の王様の他殺願望とは逆に、観客や評論家を気にするがあまりに「皆さんが勘違いしていらっしゃるぼくを殺します」という自殺願望に三作続けて猪突猛進する北野武の試みは、かなり面白い。
ゴダールやフェリーニだって自己言及的な作品は撮っているけれど、それを続けて三作やった監督というのはかなり珍しい。
そして、完璧な自殺に成功した北野武が撮った作品が『アウトレイジ』というエンタメだったことからして、点ではなく線で俯瞰すると、彼の試みは成功したといえる。

ちなみに『TAKESHI'S』は初見時から超好きな映画。『監督・ばんざい!』は当時観た時はマジでつまらなくて、どうしちゃったの?と心配になるくらいだったけれど、15年ぶりに見返したら全然退屈しなかった。手前味噌な言い方だけれど、見方を体得した、と感じた。
「生き返し映画」ならぬ「映画を殺す映画」だ。映画を殺し続けた自らを断罪するかの如く、映画監督・北野武は永久に指名手配されながら、はたまた獄中に身を置きながら、償いとしてまた映画を撮り続けるしかない。映画を生かすも殺すも俺次第!映画監督ばんざい!なんという皮肉!
「映画を愛する全人類に捧げる」という当時のキャッチコピーは、お前らが愛してる映画なんか簡単に殺せるんだぞ、という露悪ではなく、自分のために映画を殺してしまいました、すみません、という、殺された映画のために喪に服してほしいという願いだったのかもしれない。

ということで『みんな〜やってるか!』と別のベクトルで失敗していて、だから北野武にとっては大きな価値がある作品。
江守徹の「笑うな!」のシーンは微妙にブニュエルっぽい。
鈴木杏と岸本加世子のデタラメさ。「ボランティアじゃねぇんだよ!」(笑)
「このラーメン、何でダシ取ってるんですか?」「ゴキブリに決まってるだろ!」(笑)
老齢でもうリビドーすらない……というタケシの性的不能感がめちゃくちゃダイレクトに出ていたけれど、この後に『アウトレイジ』でちょっと回復してて笑う(『アウトレイジ最終章』で再び自殺願望出ちゃうのも笑う)。
「井出博士だよぉ〜〜!」のフレーズが観た当時からトラウマのように脳裏に焼き付いていた。
人には絶対に薦められない映画(笑) でも自分はとても好きになりました。