はなればなれのマチルダ

デカローグのはなればなれのマチルダのレビュー・感想・評価

デカローグ(1988年製作の映画)
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ようやく完走。キェシロフスキの『デカローグ』。


以下、各話レビュー。

第1話「ある運命に関する物語」
「死ってなんなの?」私たちが求めているのはきっと物理なんかじゃありません。
青いインクが何も起こっていないのに自然に割れた。不自然だ。いや、それが青いインクの自然だったのだ。


第2話「ある選択に関する物語」
氷とガラスと水と水滴と。そのモチーフは、第1話から少しクレッシェンドしながら引き継がれていました。
電話機に置き去りにされた「愛してるよ」。
選択するという行為は、この上なく苦しいものだけど、何をどのような経緯で選択しようが万事は始めから決まっているのだと思います。


第3話「あるクリスマス・イヴに関する物語」
雪の上を走る列車もクリスマスツリーもスケートボードも、彼らに答えはくれませんでした。ラストシーンで、夫婦を包み込むように、回り込んで動いたカメラはとてもとても優しかった。きっと、良いクリスマスになって欲しい、そう思います。


第4話「ある父と娘に関する物語」
娘が父親に水をかけて起こすシーンがから始まり、視力検査では「FATHER」をなぞらえる。母親との近親相姦の末に盲目になるオイディプス王の神話(ソポクレス『オイディプス王』)にキェシロフスキは重ねたとのこと。この視力を失うオイディプスの神話は、パゾリーニの『アポロンの地獄』でも原作とされていた。
本編は、フランス文学の常套句”意味の宙吊り”がなされる終末ですが、「言葉の裏を考えろ」という言葉のように、彼らも私たちも皆、己さえも知らない裏側に向き合わないといけないのです。


第5話「ある殺人に関する物語」
ラストシーンは、撮影クルーにとってもあまりに苦し過ぎて撮影を1日延ばしたという本章。有罪冤罪に関わらず、極刑に処される主人公を捉えた作品はこの世に数多く生み落とされており、私自身もそれらの作品を幾度と無く目撃してきました。そのような作品内で最後に処される主人公たちは誰もが絶望の底で無となり去って行くのが常、という印象でした。
しかし本作の主人公は、「死にたくない」と喚きながら処刑台へと、この世の外へと、力付くで放り込まれました。何故彼はタクシードライバーを惨死させたのでしょうか。果たして、この刑は彼の罪に対して本当に相応しかったのか。その真実は、彼の妹が死んだ森の中にあるのかもしれません。


第6話「ある愛に関する物語」
鑑賞後にレビューを書いたはずなのですが、どこかへ消え去りました。『裏窓』。。


第7話「ある告白に関する物語」
これは…。
いちばん印象的な作品かも知れない。ラストが辛くて辛くて、涙がこぼれました。
マイカの母とアンカの父は、くすんだ土色のブラウンを。アンカは愛の赤色を。そしてマイカは潔白の白を。愛情を思い出したオレンジの車とまだ冷たく進むブルーの車。色彩が、私たちにこれでもかというほど訴えかけてきます。
幸せを追いかけて、幸せが見えなくなって、幸せを失う。けれど、生命の始まりには大地があり、温かい土があるから愛が芽生えるのです。私たちはこの事実をどんな時も忘れてはならないと思います。このような悲劇が起こらないように。

第8話「ある過去に関する物語」
頭に、第2話「ある選択に関する物語」の話が挿入されていた。全10話を順番に追っているとよく分かりますが、キェシロフスキの作り込みとは鳥肌が立つほどです。
本作において発せられた言葉とは、その地点に存在していないように感じました。2人の女性の間に流れた歳月の中に、浮遊しているように思います。何度正しても、正しい場所に留まることの出来ない絵画は、ゾフィアの過去によって作り上げられた、エルジュビエタの人生のようでした。常に十字架のネックレスを触るエルジュビエタの姿は、信仰によって苦しまされた彼女の所在の無さのように見えました。
エリザベタの帰り際に話すゾフィアのあの異質な超クローズアップは何を意味するのでしょうか。彼女の顔には、大きな悲しみと強い意志が滲んでいました。


第9話「ある孤独に関する物語」
冒頭のエレベーターの中のライティング、劇的でしたね。あの演出があの彩度を担うのは、やはりキェシロフスキに与えられた稀有の才なのでしょう。あと、車にガソリンを入れるシーン、あれは衝撃的だったな…。
誰を愛しているかでは無くて、何を愛しているかなのかも知らない。そんなこと無いよ、と私は誰かに教えて欲しい。


第10話「ある希望に関する物語」
全10話の素晴らしい締め括り。繋がっていたのは愛であり、映画なのでした。