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長江哀歌(ちょうこうエレジー)のnetfilmsのレビュー・感想・評価

4.0
 長江・三峡。山西省からやってきた炭鉱夫サンミン(ハン・サンミン)は港に降り立つ。彼は16年前に生き別れた妻と子供を探しにこの地にやってきた。長江に来てまもなく手品師に騙され、地元のバイクの少年に金を払いかつての住所の場所へ先導してもらうも、既にその場所は水で埋まっていた。この場面のサンミンの狼狽は察するに余りある。搾取されたサンミン以上に衝撃的なのは、そこにあるはずの土地が既に水没しなくなっている。生き別れた妻と子供が生活しているはずの場所が、既に水没し地形さえも留めていない。この街は中国共産党による国家プロジェクトである三峡ダム建設により跡形もなく消え去り、人々が生活した記憶も思い出も何もかもが失われている。三峡ダムは長江中流域の湖北省宜昌市三斗坪にあるダムで、このダムの建設には16年もの歳月を要し、2009年に完成した。ダムの建設には幾つかのメリットがあり、電力不足の中国における水力発電の確保のため、重慶市中心部への10000t級の大型船舶まで航行可能にした。しかし一番重要なポイントは長江の洪水の抑制である。ダムが出来ることにより、この地で洪水が堰き止められ大掛かりな災害が起こりにくくなった。この三峡ダムの建設は20世紀から21世紀へと跨る中国共産党の一大国家プロジェクトであり、まさに21世紀の中国の経済成長の象徴として内外に知れ渡っている。

 映画はこの地に降り立った炭鉱夫サンミンとシェン・ホン(チャオ・タオ)という女性の人探しを同時進行で描いている。サンミンは、しばらく三峡の街・奉節(フォンジェ)に腰を落ち着け、妻子を探すことに決める。宿の主人が、妻の兄の居場所を教えてくれた。サンミンは義兄を訪ねる。義兄は、サンミンの妻ヤオメイはもっと南の街で船に乗って仕事をしているという。翌日からサンミンは、住民が移住した建物の解体作業に精を出す。今作ではキアロスタミの人探しのように、なかなか対象に辿り着かない。行く先々で空振りに合い、すれ違いの描写が延々と続く。それでも辛抱強く待ちながら、主人公は辛抱強く探す。その空振りの中でサンミンが出会う人々が実に興味深い。金を騙し取ったバイクの少年、宿泊先のオーナー、解体作業の同僚たち、体を売る女、彼らは皆三峡ダム建設に翻弄され、自分たちの生活を奪われる底辺の人々である。サンミンもシェン・ホンもお互いのパートナーを探しに三峡に来ているが、その目的や会わなかった時間の長さはあまりにも違う。シェン・ホンはせいぜい2年前の出来事であり、夫に愛想付かせて離婚届にサインをしてもらうために三峡に来ている。電話連絡が途絶えたことから、彼女は夫の浮気を疑うが、どうやらそれが真実らしいと夫の親友や部下から聞き出す。そのことで彼女は離婚の意思を固め、彼に思い切って切り出す。

 瓦礫の山、廃墟になった建物、水の貯まった川の水深、サンミンの宿泊先、シェン・ホンが乗ったモノレール、それら全てが幻の中からフィルムによって思いがけなく顔を現す。思えば『プラットホーム』も『青の稲妻』も『世界』も、ジャ・ジャンクーは多分に図式的な設定の中から国家に対する個人を浮き彫りにしてきた。彼ら彼女らはこの中国の激動の時代に乗り遅れた人間であり、その急速なスピードの変化に付いていけなくなった彼ら彼女らは真に悲劇的な結末を迎えた。それが今作では今は失われた場所や思い出の視座に立って、社会の底辺でもがく人間の視点から国家への眼差しを向けようとしている。これまでの映画とは一転して上流と下流の対比構造は逆になり、風刺的ではなく真にリアルな情景から物語を紡ぐ。そして今作では初めて国家権力の中枢にいる人物を描写している。シェン・ホンが夫の友人であるトンミンと夜の盛り場に繰り出した場面である。それと共にジャンクーは三峡ダム建設という一大国家プロジェクトの影で、人知れず命を落とした名もない青年の姿もしっかりと描写している。中国が急速な経済発展を遂げ、世界の中で存在感を発揮する中、その影で多くの人間が使い捨てられ、多くの人間の物語が突然失われる。ここには確かに中国経済の繁栄の功と罪が両方息づく。
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