Jeffrey

みじかくも美しく燃えのJeffreyのレビュー・感想・評価

みじかくも美しく燃え(1967年製作の映画)
3.8
「みじかくも美しく燃え」

〜、最初に一言、絵画が動いているかのような圧倒的映像の美しさ、色を殺して淡く描き出すー組の心中映画、まさに北欧スウェーデンの傑作がBDの高画質で甦る〜

冒頭、草むらを走る幼い少女。2人の男女が木漏れ日の下で愛し合っている。野の花が風に揺れる晩夏の森。青年貴族、軍隊を脱走、ピクニック、綱渡り、音楽、湖のほとりの村。今、風光明媚な中で一組の心中を優しく描く…本作はボー・ヴィーデルベリが監督、脚本を務めた1967年のスウェーデン映画で、ようやくこの傑作が国内で初BD化され購入して再鑑賞したが素晴らしい。wowowのシネフィル用の条件で鑑賞が唯一できる映画で、今まで廃盤だったがようやく手に入れることができた。本作は1889年にスウェーデンで実際に起きた事件を映画化し、劇中ではハンガリーの名ピアニストであるゲザ・アンダによるモーツァルトの"ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467"と、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲"四季"が使用されているのは有名な話だろう。残念なのは初回放送1972年11月15日の水曜ロードショーの吹替が収録されていない事だ。

本作と言えばヨーロッパ二大悲恋事件とされていて、もう一つはウィーンで起きたもので、戦前「うたかたの恋」と言う題名で映画化もされていた。すなわち1889年の実際に起きた青年貴族と美しい踊り事の悲恋事件がこの作品のテーマとなっており、地位や名誉や、その他一切の社会的拘束を退け、ひたすら愛を貫こうとして死んでいったこの2人の物語は、スウェーデンの人々の心に深い感銘を与えたと言わざるを得ない。それから78年、人々は未だに同情と共感、そして賛美の念を込めて、エルビラ・マディガンのバラードを口ずさんでいると言うことも事実だし、優れたスタッフと新鮮なキャストで映画化された本作は、さらに広く愛され親しまれることになったんじゃないかなと思う。この作品でスウェーデン映画の新しい方向を正す作品として注目を浴びたのは言うまでもないことだろう。監督は作家きら映画批評家を経て監督になったと言う知性派だし、構造からストーリーの中身まで巧みである。確か国立演劇劇場のプロデューサーもやっていたと思う。当時36歳の若さながら、スウェーデン映画、演劇界の実力者の1人と目されていたこともこの映画のファンの方ならご存知の通りだろう。

彼の処女作と言えば「乳母車」で、まだ私も見ていなくて非常に目にしておきたい作品の1本である。この作品はカラー映画として非常に美しく映っていて、全編ほとんど戸外で撮影されており、ひたむきな愛の喜びと悲しみを美しく歌いあげている。主人公の女性エルビラを演じている子は17歳の学生で、映画に出演するのは初めてだったそうだ。しかし綱渡りの場面のスタンドインを使わずに自分で演じたと言う、年に似合わない根性の持ち主と言うところも非常に私的には好みである。ビジュアルも文句なしに美しいし、まさに稀に見る清純な容姿とそのファイトで見事カンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得したのも今考えれば当たり前だったのかもしれない。相手役の青年貴族スパーレ伯を演じたベルグレンは王立演劇劇場出身の人気スターで、監督のお気に入りとのことでほとんどの作品に出演しているとのことだ。私は他の作品をほとんど見ていないため拝めないのが残念だが。確か当時この映画で日本でも人気が出たと言うことを昔何かで読んだ覚えがある。

ちなみに冒頭に出てくる少女のニーナちゃんは、監督の娘である。異色のキャストながらいずれもみんな巧く好演しているのが良かった。そして何よりもペルソンの撮影がこの上もなく美しく、全編に流れるハンガリー生まれのピアニストゲザ・アンダ演奏のモーツァルト作曲の数々も素晴らしかった。まさに夢のひとときである。素晴らしい90分が堪能できるカラーフィルムの秀作だ。さて、ここから物語に入る前にエルビラの恋と終焉の地の事について少しばかり話したいと思う。エルビラ・マディガンと青年伯爵シクステン・スパーレ中尉がその短くも美しい恋の終焉の地として選んだのは、故郷スウェーデンを離れたデンマークの島だった。フリン群島の南にある細長い島トーシンゲ、その小さな漁村トローエンセに2人が落ち着いたのは1889年7月に入ってからだ。軍隊を脱走したスパーレ中尉は恋人のエルビラとひたすら故国を逃れる。脱走は重い罪ですが、何よりも2人を追いかけたのは名門に生まれたシクステンに浴びせられた非難の言葉です。スパーレ伯爵家は今もなおスウェーデン王家に近い名門として残っていますが、貴族が今よりももっと社会的に尊敬されていた当時の事なんで、シクステンが受けた非難がどんなに強いものであったか想像に難くない。幸せを求め、至高の愛を求める2人に残されたのは結局は死ぬ事しかありません。7月18日に、エルビラとシクステンはトローエンセの近くの森でその短い恋の生涯を終えました…。


さて、物語は木漏れ陽がきらめき、野の花が風に揺れる夏の森に一組の若い男女の姿があった。2人の顔にも、体にも、愛し合うものだけが持つ、あの伸びやかな明るさと深い暖かさが溢れていた。2人は飽くことなくて見つめ合い、微笑み、愛し合った。どのくらいの時が経っただろうか、男は傍の軍服を取り上げると飾り紐を引き切り、ボタンをむしりとった…。妻子あるスパーレ中尉はサーカスのスター、エルヴィラと道ならぬ恋に落ちる。2人は家族も地位も名誉も捨てて駆け落ちし、この事件は世間の注目を集める。人目を避ける逃避行が始まる。美しい田園風景の中で、2人はつかの間の時間をいとおしく過ごす。しかし、働くことを知らない貴族の男は持ち金を使い果たして困窮に陥る…と簡単に説明するとこんな感じで、主演のピア・デゲルマルクが第20回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞し、19世紀末のスウェーデンで起こった事件を妻子ある陸軍将校とサーカスの娘との駆け落ちと身分を超えた許されぬ恋の逃避行と木漏れ日きらめき、野花が風に揺れる晩夏の森の恋人たちの悲劇に世間が涙して、今なお語り継がれる永遠の名作として作られた傑作である。貴族と旅芸人の娘の非恋が、絵画のような田園風景を背景にモーツァルトの美しい旋律で綴られる死ぬ前に見ておきたい映画の1本である。映画ファンの紅涙を絞る恋愛映画の傑作として大ヒットしている。

いゃ〜とにもかくにもスウェーデンの土地柄の風景が美しいのなんのって、非常に絵画のように映し出される映像に息を呑むほどだ。まずこの作品がいかにして傑作と言われているかと言うのは、スウェーデン映画の特徴であるフリーセックスを抜きにした事柄にまずフォーカスしていきたい。スウェーデン映画と言えばベルイマンが有名だろう。またデンマークだったらドライヤーが有名だろう。先ほども言ったように、いかにしてこの作品が新たなスウェーデン映画を確立したと言った意味についてはスウェーデンと言う国柄はほとんどがセックスを赤裸々にとらえたショッキングな作品を趣向として描かれていた芸術が多くあったからである。しかしながらこの作品を見て欲しい、一切そういったものがない。それとこの作品は控えめに言っても文芸女性作品とも言える。それは純愛を謳歌しているからだ。そして日本語題名の「みしかくも美しく燃え」と言う内容に全てが表現されている的確な判断にも魅了される。確か作詞家の岩谷時子が試写を見て書いた印象記の中からそのまんまいただいたと記憶している。

そしてこの作品は日本特有の心中を描いている作品でもある。というか北欧にも心中事件というのがいくつもあるようでまず驚く。先程言った歌と「うたたか恋」(マイヤーリング事件)と言う事件も19世紀の終わりを告げようとしていた頃に、ヨーロッパ皇室の名家ハプスブルク家の秘史として伝えられるオーストラリア皇太子ルドルフ大公とマリー・ウェッツラの心中事件を扱ったものだし、確か1937年に日本に輸入されたのだが、内務省映画検閲当局から、内容が一国の皇太子の政治的な反抗と情事を招いたもので最も好ましからざる作品として公開を許されず、戦後になってやっと公開されたと言うエピソードがあったと思う。そもそも国別ランキングと言うのを毎回何かしらのジャンルで発表するときに大抵北欧の国々が1位を取るのだが、スウェーデンなんて世界一社会福祉が行き届いていると感じる最中、心中事件などが当時あったとはとても考えられないが、時代が時代、そういったこともあったのだろう。今思えばスウェーデン人の一断面があると主張したいかのようなこの作品も、ベルイマンが描いたスウェーデン人とはまるで360度違うようなスウェーデン人が写し出されているのも興味深いところだ。


ところでこの作品のクライマックスで二発の銃声だけが耳に残る終わり方をしているのだが、北野武の金獅子賞を受賞した傑作「HANA―BI」と似ているなと感じた。その点はドラマティックな締めくくりになっていて非常に好きである。それと美しい映像の中に血生臭い演出が一切ないと言う大団円の迎え方は、観客にとっては幸福に満ちた状態で当時劇場から外へと歩き出せたんじゃないかなとも感じた。その点観客に対しての細やかな思いやりだったのだろうとも感じてしまう。この作品は愛情たっぷりに、森の風情もただひたすら美しく、優しく、2人をまるで労るかのように写し出されていて、飛んでいる蝶々や川にメモを浮かべて流して、それを見たエルビラが飛んでいくシーンや天才画家にデッサンしてもらった絵や大切にしてきたネクタイピンが生活のために手放されていく残酷なシークエンス、一杯のミルクのために工員たちのパーティーで踊ったり、灰色の海、静かに沈んでいく夕日のシーンはもはや息を呑むほどだ。

宮川一夫の銀残しと言えるほどでもないかもしれないが、ペルソンの強烈な色を殺して淡い調子で統一した撮影も思いっきり評価したいー本である。音楽と映像が非常にマッチしていてすばらしい。優美で自然の描写はルノワールを思い起こすし、繊細で愛くるしい表現、感受性、美的経験の全てが色彩にまじり、どのカラー撮影よりも素晴らしく感じてしまう。ポエジーが凝縮された説得性に満ちた1本である。きっとこの映画見たらここ最近描かれている作品があまりにも美しくないことに辟易とするだろう。これほどまでに色彩や描写が芸術的で美しく感動した作品、最後の幕切れの取り扱い方、映像そのものが音楽であり、詩の作風に出会えたことを感謝するだろう。正に御伽噺、ファアジアな物語である…。

最後に余談だが、ピア・デゲルマルクはボー・ヴィーデルベリが自作の主人公を探している時に、偶然新聞紙上の写真を見て発見した新人とのことだ。その写真は彼女がスウェーデンの皇太子と踊っている写真だったらしく、彼女こそ僕のエルビラだと監督は叫び、すぐにカメラテストを申し入れたそうだ。テストの結果は上々で、こうして美しいエルビラが生まれた。しかしピア自身は映画スターになる夢を持っていなくて、外国語を学んで将来は国連の通訳になるのが彼女の夢だったそうで、最もカンヌで主演女優賞をとってしまったので、おそらくは彼女の志と反して、イングリットバーグマンのように立派なスターになるんじゃないかと当時言われたそうだ。
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