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サムライの子のotomisanのレビュー・感想・評価

サムライの子(1963年製作の映画)
4.0
 小沢昭一だもんなー、とか思ってみれば少し慰めになる。映画史に残りそうなくらいのダメ父ちゃん振りを心のどこかが許しているようだ。ところがそれを娘のユミは許せない。そりゃあそうだ、母ちゃんを振り捨てて紋別からぷいと消え大都小樽のドヤ街を市営住宅(うそじゃない)なんて偽って別の母ちゃんと暮らしているのだから。これで金持ち暮らしなら大げんかだろうがゴミ拾いのごくささやか暮らしなんでかえって留飲も上がらないのか?
 そんな父ちゃんが競輪でどうせヨミ違えだろうが大アナを当てて10万円の大儲け。ドヤを挙げて一晩の特級酒とビール大盤振る舞いの気違い沙汰で掛かりが幾らか知れないが2万も残っているなら掠め取った奴がいない証拠だなんて誰が喜べる?常々言ってた事業大躍進の要のリヤカーは影も形もなくてドヤからも出られない。こんなザマだからユミも父ちゃんの旧悪を総ざらいしてドヤをおん出てホームレス暮らしを始める。
 ここで、世の中の上から下まで、上は小学校と騙されて連れていかれた高等学校の裕福なお姉さんの暮らし、父ちゃんのドヤ暮らし、一段下な「ノブシ」の暮らし、ホームレスの橋の下まで揃うんだが、するとあのドヤもあの父ちゃんも上から2番目という事になる。
 ところで、あの「ノブシ」、「サムライ」の下というのか?だがユミが歌う「上を向いて歩こう」にぶっつける「ケブ」のあの歌はアイヌのそれだろうか。ヒトとクマのあいの子なんてのもとんだ悪口なんだが「アイヌ」という言葉をあえて避けたような紹介に監督の分かってやってや、という気持ちを感じた。
 物は無くなってもカネには手を付けないのが倫理かどうか知らないが、その金を若い「マキタ」が融通してくれる。マイホームの夢は「ノブシ」定住事件で大分遠のきそうだが浮いた資金をダメ父ちゃんへのリヤカー投資で高度経済成長を期待してくれるという。調子のいい話だが、更生のためのどんな代案があるだろう。いろいろ足りない(まったく父ちゃんは)ところを肌寄せ合って補うべきところ、母ちゃんまで逃げられて丸裸では酒を断ってでも二人に戻ってほしい。こんな自他ともに認める弱っちさなんで、弱いっすだから助けてくださいと妻や子に「マキタ」にも頭が下がらないとダメなものはどこまでもダメなんだろう。
 ため息の出るようなびんぼうを裕福なお姉さんは理屈上逃げるようにするが、現にユミも「ノブシ」のミヨシも真っ当な打つ手がない。当たり屋の当たり損ねで死んでしまうミヨシの暴力父ちゃんのおかげといえばおかげで旭川に引き取られるミヨシだが、見捨てられるごろまき仲間の坊主3人は見送りもしない。ああやって事件の余波で引っ張り上げられるしか救われようがないし、それは努力では届かずお祈りもお願いも普通ならしたくもない誰かの不幸なんて余程のヘンな運にしか頼めない。だが、考えてみるとこのはなし、やっとオリンピックの前の年の事。石炭も頭打ち、新産業もやってこない、今よりも数段、物にも金にも恵まれない時分なのだ。ただ、これから東京中心に稼いで税から国庫から交付金が行き渡ってカネを梃子に変化が起こってくる。そのカネでまた人も事もおかしくなるんだが、そんな前夜、まだ自力とお隣同士の他力程度で支え合いドヤしつけ合ってホロホロやってくのが、どこかまだましなように見えてしまった。
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