つかれぐま

ダークナイトのつかれぐまのレビュー・感想・評価

ダークナイト(2008年製作の映画)
-
二元論(分かりやすさ)の否定

複雑な事象を分かりやすく語る。それが是とされがちな現代にあって、本作はその真逆。故に何度も見直され、長く名作であり続けているのではないか。

善と悪、光と影、正義と邪心。
言ってしまえば本作のテーマはこの二項対立に尽きるのだが、事実上の主役ジョーカーの存在と、彼の操るレトリックがこのテーマを複雑にしていく。運命論者のように振舞うが、実は運命をコントロールせんとした「光の騎士」デントの闇落ちは、この二元論の完全敗北を示した。

ブルースもまた敗北する。
一度ならず二度までも、街の平和よりレイチェル1人の命を優先した「偽善」をジョーカーは嘲笑う(前作も含めれば三度目だった)。

そんなジョーカーがなぜ敗れたか。
初見時、フェリーであのスイッチを「押さなかった」正義が街の勝因と信じたが、今回はあの場面の意味合いが少し違って見えた。囚人船はさておき、少なくとも一般人のフェリーはスイッチを「押せなかった」のだ。圧倒的な投票結果にも関わらず、いざ押す段階になると誰も押せない。自分だけは絶対に悪人になれないという、これもまた「偽善」。それも消極的偽善だ。

デントやブルースの分かりやすい「二元論」を否定することで、勝利寸前だったジョーカー。市井の人々が併せ持つ「半分の正義」と「半分の偽善」が街の危機を救う。より分かりにくい者が勝つという皮肉な結果だから、「闇の騎士」に身を堕とすブルースの選択が呑み込める。もし本作が分かりやすい語り口だったら、こんな風には味わえまい。

複雑な事象を解りやすく語るのは、映画にせよ文章にせよ、その「敷居の低さ」が歓迎されがちだが、アメコミという娯楽映画の枠でありながら、そこに異を唱えた意義深い作品。