Jiyong

ダークナイトのJiyongのレビュー・感想・評価

ダークナイト(2008年製作の映画)
3.5
ヒースが好きすぎて落ち込んでしまうから年に1回くらいしか見られない映画。

ノーランはIMAXカメラ(フィルムカメラ)への拘り、音楽への拘り、リアリティへの拘りが凄い監督として有名なのに、構図への拘りはないんか?ってくらいカメラが動きまくる。バシッと決まる絵が殆どない。戦闘シーンとの緩急に欠ける気がする。

ノーランは2人の人物の会話を撮る時、話していない人物の背後から話している人物を写す。
IMAXカメラは性質上焦点が合う範囲が狭い。
しかし、IMAXカメラで撮る時も他のカメラと同様に、その会話の撮り方をする。だから手前の(話していない)人物のピントがかなり合っておらずボヤけまくっていて若干酔いそうになる。


そもそも論なんだけど、アメコミやヒーローを好まない自分としては、主人公達が「ヒーロー」という個体を欲している意味がよく分からない。正義について考えたことはあっても悪について考えたことがなさそう。何かを守る為に悪と戦うというより、悪と戦うことが正義であると思っていそうだ。
ノーランは、あの2船の起爆装置のシーンで「罰するべきは人ではなく罪」(ひいては最初の銀行員が言ってた昔の悪党の倫理観?)っていうことが言いたかったんだろうか。ノーラン流のヒューマニズムなのか。

ジョーカーの人間性が殆ど見えないしジョーカー自身に深みはなさそうなのに、ジョーカーという人物そのものを嫌いにならないのは完全にヒースの努力と才能の賜物だと思う。
ヒースはもちろん演技や人物構成について口を出しまくってるだろうし(看護師のシーンもヒース提案)作られていないジョーカーの人間性の構造を一から組んでる印象。
アメコミにおいて、ジョーカーの作られていない人間性は逆に効果があるのだろうから別にディスってるわけではない。
ノーランとヒースが作ったジョーカーは、悪に依存している。悪という概念に縋って生きている。人間が人間そのものの善を信じたいと思う船のシーンはその対比になっている。ジョーカー自身も悪とはなにかについて深く考えてはいなさそう。
映画やジョーカー自身からはその薄っぺらさやぼやけている輪郭を感じるのだが、ヒースはしっかりジョーカーとはどういう人物であるかを研究し、考えて実践していることがよく分かるので好き。
バットマンもジョーカーも嫌いだけど、ジョーカーを演じているヒースのことは大好き。


バットマンとウェインの偶像的な正義を求める暴走をマイケル・ケインとモーガン・フリーマンという大御所俳優が牽制するような構造になっているが、それでもやはりバットマンをかばいたい気持ちを映画自体から感じて、どうしても好きにはなれない。

欧米諸国において、中国(アジア)は「奇妙なもの」「未知のもの」としてのイメージが大きく、大体事の発端や、鍵を握るのはアジアだったりするよね。人種差別だとは思わないけど、何も考えてないんだろうなとは思う。

やっぱりジョーカーに追い込まれたヒースの事を考えてしまうので、次に見るのは来年だと思う。楽しいヒースのことを考えていたい。
Jiyong

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