2019ホアキン・フェニックス版ジョーカーを鑑賞して真っ先に思ったのは、『ダークナイト』をもう一度じっくり見たいということだった。
『ダークナイト』は勿論バットマンの呼称だが、この映画の主役はむしろ自分にとっては「ジョーカー」であり、俳優においても彼を演じたヒース・レジャーが世界中の注目の的だった。とにかくスゴい。髪を振り乱しながら、バズーガー片手に嬉々として仁王立ちする姿など、もはや悪にしても爽快すぎるだろう。
ジョーカーがただの悪人でなく、神の化身に見える瞬間がある。それは人々が愛してやまないものを山のように集めて見せて、それを事も無げに灰にするシーンだ。世の煩悩を振り払うが如く。自分はある種の爽快感に包まれ、感嘆と同時にジョーカーに対する畏敬の念が生まれそうになった。マズイ
「地位も名誉も財産も命も要らぬという人間は扱いに困る。しかし、この扱いに困る人間でなければ、世の大事は為せない」といった西郷隆盛の言葉をなぜか思い出してしまう。ジョーカーが大人物というわけにはいかないが、その亜種というところか。
映画は予定調和的に人間の善を信じられることを示して見せ、バットマンに軍配が上がるかのように終わろうとする。
しかし。
ジョーカーの真の恐ろしさは、彼の暴力や残虐性にあるわけではない。
自分が最も恐怖を覚えたのは、ジョーカーが、入院中の検事の前に忽然と現れ、昨日までの正義の騎士を悪の権化へと見事におとしめて見せた台詞だ。人間心理を操る悪魔の知恵というかなんというか…。
彼は自分の後継者を誕生させることによって、バットマン陣営に対する勝利を嘲笑うように宣言しているのだ。
以上が感想。以下は余談。
マイケル・ケインとモーガン・フリーマンの演技は相変わらずイイ。見ていて気持ちよかった。
唯一の難点は、美女が美女に見えず、一流の男2人が真剣に争うには説得力を欠くところ。ゴメンナサイ